大野勇 (高知市長)

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大野 勇(おおの いさむ、1880年明治13年〉1月10日[1][2][3]1973年昭和48年〉11月5日[3])は、日本政治家高知市長

経歴[編集]

高知県高岡郡(のちの別府村仁淀村、現在の仁淀川町)出身[1][2]高知師範学校[1]。中等教員検定試験に合格する[1]台湾に渡り、台湾総督府立中学(現在の台北市立建国高級中学)、松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)ほか各中学校教諭を歴任する[1]京都市役所に入り、視学、社会課長となり[1]1928年(昭和3年)に市政研究のため、欧米に出張する。パリの市営競馬や清掃制度、市場研究に重点を置き、帰国後に京都中央市場の設立に力を尽くし[2]、市場長となる[1]。その後、京都市助役となる[2]1941年(昭和16年)に高知市長に就任した[2]

就任した年の暮れに太平洋戦争が勃発。国家総動員体制下での市政運営を迫られた。1942年(昭和17年)6月には高知市は周辺の10ヶ町村を合併し、市域を拡大した。戦時体制は強化される一方、戦況は悪化の一歩をたどり、高知市も空襲を受けた(高知大空襲)。やがて終戦となり、大野は終戦後も市長の職に留まっていたが、1946年(昭和21年)に退職した。その後、公職追放となった[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録』第14版、近畿、中国、四国、九州篇、高知2頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、400頁。
  3. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』379頁。
  4. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛高知市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、491頁。NDLJP:1276156 

参考文献[編集]