大谷崩
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大谷崩(おおやくずれ)は、静岡市葵区の大谷嶺(おおやれい)の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊である[1]。
1858年に富山県で起きた鳶山崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる[2]。
概要
[編集]大谷嶺は標高1999.7m[1]安倍川(あべかわ)の水源のひとつである。大谷崩の位置に崩壊地があったことは1530年(享禄3年)の文献にはすでに書かれている[1]。「大谷崩」の名称の文献上の初出は、1709年(宝永6年)4月に記された「駿河国安倍郡梅ヶ島村差出シ(村差出明細帳)」に「大谷崩という崩壊地があり、さらに下流には長さ1里、横幅10丁の池がある」[3]と記されている。
崩壊で発生した土砂は1億2000万m3と推定され[1]、これが三河内川を堰止めて大池を生じ、明治初頭まで存在していた[1]。また下流に滝もつくりだしており、この滝は土砂のために真っ赤な水を流し続けたことから、「赤水の滝」(北緯35度16分27.3秒 東経138度19分39.7秒 / 北緯35.274250度 東経138.327694度)と呼ばれている。
現在でも大雨の後には多量の土砂崩落が見られる。山体崩壊の迫力のある形状とともに、春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧などの景観にも優れることから、山の麓まで訪れる観光客も見られる。
登場する作品
[編集]- 幸田文『崩れ』講談社〈講談社文庫〉、1994年10月5日。ISBN 978-4061857889。
幸田が72歳のときに出会った大谷崩の迫力に圧倒されたことから、全国の崩壊地を訪ね歩いたことを綴ったエッセイ。大谷崩のたもとには「崩れ」の文学碑がある。 - 青木奈緒『動くとき、動くもの』講談社、2002年11月。ISBN 978-4062115230。
幸田の孫である青木が大谷崩ほか、上記『崩れ』の地を訪れて著したエッセイ。「砂防と治水」139号(平成13年4月号)[4]から148号(平成13年10月号)[5]にかけ連載された。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 武内達夫、堤博志:大谷崩 砂防学会誌 Vol.38 (1985-1986) No.3 P20-22_2
- ^ “〈改訂版〉南アルプス学・概論”. 静岡市. 2019年10月2日閲覧。
- ^ “宝永地震による土砂災害事例”. 内閣府:防災情報のページ. 2014年6月19日閲覧。
- ^ “第139号 2001.4月号 Vol.34,No.1”. 一般社団法人全国治水砂防協会ホームページ. 2014年6月19日閲覧。
- ^ “第148号 2002.10月号 Vol.35,No.4”. 一般社団法人全国治水砂防協会ホームページ. 2014年6月19日閲覧。