大伴真綱

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大伴 真綱(おおとも の まつな、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位下陸奥介

経歴[編集]

宝亀8年(777年従五位下陸奥介に叙任される。

宝亀11年(780年陸奥国上治郡(伊治郡)大領伊治呰麻呂伊治城で反乱を起こし、按察使紀広純を殺害する。この時、ただ一人真綱だけが蝦夷の兵士が包囲する一角を破って脱出し、多賀城に逃れた。多賀城には兵器兵粮が潤沢にあり、城下の百姓らは競って城中に入り保護を求めた。しかし、真綱と陸奥掾・石川浄足は城の後門から逃走してしまったため、拠り所を失った百姓らは間もなく散り散りに去って行った。数日して蝦夷の兵士が多賀城に襲来し、城の物資を略奪した上で城を焼き放った[1]宝亀の乱)。

朝廷では即座に中納言藤原継縄征東大使とする征討軍の任官が行われ、真綱は陸奥鎮守副将軍に任ぜられている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』宝亀11年3月22日条

参考文献[編集]