夢の子供たち

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夢の子供たち』(Dream Children作品43は、エドワード・エルガーが作曲した小オーケストラのための楽曲。

概要[編集]

この作品はエルガーの名声と人気が絶頂に達しようとしていた1902年に書かれた。小曲を作曲して生活費を稼がねばならないことに不平すら漏らしたエルガーとしては珍しく[1]、委嘱を受けての仕事ではなかった[2]音楽評論家マイケル・ケネディは、エルガーが1898年以来取り組んでいたチャールズ・ゴードンを讃える交響曲から、未使用の素材を転用したのではないかとする説を唱えている[2]。2つある楽章はいずれも交響曲の楽章としての体をなしていないが(演奏時間は第1楽章が3分強、第2楽章が4分強にとどまる)、それは小規模な部分ごとに作曲を行い、その後全体に統合するというエルガーの習慣でもあった。

総譜とパート譜は当初1902年にロンドンのジョゼフ・ウィリアムズ社から、その後1911年マインツのショット社から出版された。フランス語の「Enfants d'un Rêve」という題が掲げられ、その下に「(Dream-Children)」と英訳を掲載した上での刊行であった。過去に『愛の挨拶』を「Salut d'Amour」として出版した際と同様、エルガーはフランス語のタイトルの方がよく売れるという出版社の意見に同意したのである。献呈は行われていない[2]

初演は1902年9月4日クイーンズ・ホール英語版においてアーサー・ペインの指揮で行われた。

チャールズ・ラムの随筆[編集]

この作品はチャールズ・ラム1822年に出版した『エリア随筆』(Essays of Elia)中の一編[注 1]、「Dream-Children ; A Reverie」から霊感を得ており、エルガーは楽譜に下記のようなエッセイの抜粋を書き入れている[3]。エッセイは改行なしで4ページ以上に及び、夢想が繰り広げられる。アリスとジョンという「小さな者たち "little ones"」を呼び[注 2]、曾祖母のフィールドと彼女の家のこと、そしてもう1人のアリスに対する彼自身の求婚、願い、やがて訪れる絶望が語られる[注 3]

* * * And while I stood gazing, both the children gradually grew fainter
to my view, receding, and still receding till nothing at last but two mourn-
ful features were seen in the uttermost distance, which, without speech,
strangely impressed upon me the effects of speech: "We are not of Alice,
nor of thee,[注 4] nor are we children at all. * * * * [注 5] We are nothing; less than
nothing, and dreams. We are only what might have been."[注 6] * * *

「アリス」という名前はエルガー自身の人生においても重要であった。彼が親しく交際する中で数々の霊感を得たアリス・ステュアート=ウォートリーのみならず、彼の妻もまたアリスであった[2]。ただし、エルガーとステュアート=ウォートリーとの出会いは1902年であり、両者が親交を深めるのはさらに数年後のことである[2]

楽器編成[編集]

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、ティンパニ3、ハープ弦五部

楽曲構成[編集]

2つの楽章からなる。

第1曲

アンダンテ 12/8拍子 ト短調

1小節の導入の後、クラリネットが穏やかな旋律を奏する(譜例1)。

譜例1


\relative c' \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } {
 \key g \minor \time 12/8
  <d' bes>4\ppp ^\markup \italic espress. \<( <bes g>8) <es c>\>( <d bes> <c a> <d bes>4\ppp) <d~ bes~>8-- <d bes>4 <d bes>8
  <g, es>4( <fis d>8) <a fis>\>( <g es>\! <fis d>) <d bes>4 <d~ bes~>8 <d bes>4 <d bes>8(
  <d' bes>4\cresc <bes g>8) <f' d>\>( <es c> <d bes>\! <c a>4) <c~ a~>8 <c a>4\dim <c a>8\!(
  <d bes>4\ppp <bes d,>8) <g' es>\>( <es c> <d bes>\! <c a>4) <c~ a~>8 <c a>4 d8
}

中間部では譜例1を変ホ長調へ移すが、再びト短調へと戻り、最後は最弱音(pppp)の中に消えるように終わる。

第2曲

アレグレットピアチェーヴォレ 3/8拍子 ト長調

前奏を置かず、クラリネットが奏する譜例2に開始する。

譜例2


\relative c' { \key g \major \time 3/8 \tempo "Allegretto piacevole"
 e16_\markup { \dynamic p \italic dolce } ( fis g fis e g a8) r r e16( fis g fis e g << a4.~) { s4\dim s8\! } >>
 a16( b c b a c d8) r r a16( b c b a c << d4.) { s8\> s8 s8\! } >>
}

爽やかな調子で進み、中間部ではオーボエとクラリネットによって新しい旋律が奏される(譜例3)。

譜例3


\relative c' \new Staff \with { \remove "Time_signature_engraver" } {
 \key g \major \time 3/8 \tempo "un poco meno mosso"
  g''8\p ^\markup \italic espress. ( fis16 e\<) g8~( g8\> fis\! d) << b4.~ { s8\dim s4\! } >> b4.
  e8\pp( d16 c\<) e8~( e\> d b\!) g4.~\> g4\! r8
}

譜例2が回帰し、その後譜例3を振り返るなどして一度終了したかに思われる[注 7]。しかし、アンダンテ、12/8拍子、ト短調となって譜例1が現れ、静寂の中に全曲を締めくくる。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 初出は1822年1月のThe London Magazineへの掲載だった。
  2. ^ ラムには子どもがいなかったが、彼と姉妹のメアリーはエマ・アイソラという名前の養子を取っている。
  3. ^ もう1人のアリスとは、ラムが7年(誇張されている)にわたって片思いを続けたと語ったアン・シモンズを象った人物である。アンはその後、質屋を営むバートラムと結婚した。夢の子どもたちとはラムとアンの間の - に「いたかもしれない」 - 空想上の子どもたちのことである。
  4. ^ 言い換えるのであれば"We are neither Alice's children nor yours."
  5. ^ このアスタリスクの部分には、元々あったラムの文章がふ伏せられている。"The children of Alice called Bartrum father." 子どもたちがバートラムではなく自分の子どもであったなら、というラムの苦悶の空想が明かされている。
  6. ^ 斜体部はエルガーが書き加えたもの。
  7. ^ 楽譜には終止線が引かれている[3]

出典

  1. ^ Booklet for CD, Elgar: Works for Orchestra, CHAN10422X” (PDF). CHANDOS. 2014年8月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e ELGAR - HIS MUSIC: DREAM CHILDREN, op 43”. 2014年8月9日閲覧。
  3. ^ a b Score, Elgar: Enfants d'un Rêve” (PDF). 2014年8月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • Kennedy, Michael (1987). A Portrait of Elgar. Oxford: OUP. ISBN 0-19-816365-7 
  • Lamb, Charles, Prose and Poetry, with an Introduction by George Gordon and Notes by A. M. D. Hughes, 1921, Clarendon Press (Oxford)
  • Orchestral score: Enfants d'un Rêve (Dream-Children), Schott & Co. (Mainz) 1911

外部リンク[編集]