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多川萬助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

多川 萬助[1][2](たがわ まんすけ、旧姓・平原、前名・太八郎[3]1845年4月28日弘化2年3月22日[4][5] - 没年不明)は、日本資産家[6]、広島県の大地主[7]、広島県多額納税[5][8]銀行家多川銀行頭取[2][3]。族籍は広島県平民[3][4]

人物

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広島県平民・平原甚太郎の長男[3][4]1880年5月に先代萬助の養子となり、1904年11月に家督を相続し、旧名・太八郎を萬助に改める[4][5]

1900年、広島多額納税者の班に伍し、地主会が設立されると、大地主会員に推薦される[1]貸金業[2]商業[8]を営む。深く仏教を崇信する[1]。住所は広島県賀茂郡阿賀町[3][4](現・呉市)。

家族・親族

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多川家
  • 養父・萬助[3][4]
  • 妻・リキ(1845年 - ?、広島、多川元助の長女)[3][4]
  • 養子・一治[9]1891年 - ?、広島、多川熊次郎の長男、広島多額納税者、阿賀穀物問屋代表取締役、農業[9]
  • [3][4]

脚注

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  1. ^ a b c 『広島県紳士名鑑』賀茂郡之部38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月6日閲覧。
  2. ^ a b c 『大日本紳士名鑑』広島県賀茂郡28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第6版』た49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第5版』た53頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月6日閲覧。
  5. ^ a b c 『交通及工業大鑑 日露号』タの部265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月27日閲覧。
  6. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月6日閲覧。
  7. ^ 『広島県下役員録』2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月23日閲覧。
  8. ^ a b 『日本紳士録 第15版』全国多額納税者 広島県之部(明治37年4月1日調)17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月14日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第8版』タ76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月6日閲覧。

参考文献

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  • 佐古豊次郎編『広島県下役員録』広島独立通信社、1909年。
  • 交詢社『日本紳士録 第15版』交詢社、1910年。
  • 稲臣等編『交通及工業大鑑 日露号』交通社、1916年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。