堀秀道
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| 堀 秀道 | |
|---|---|
| 生誕 |
1934年5月21日 東京 |
| 死没 | 2019年1月3日(84歳没) |
| 研究分野 | 鉱物学 |
| 研究機関 | 鉱物科学研究所 |
| 出身校 | モスクワ大学(中退) |
| 主な受賞歴 | 櫻井賞(1986年) |
| プロジェクト:人物伝 | |
堀 秀道(ほり ひでみち、1934年5月21日[1] - 2019年1月3日[2])は、日本の鉱物学者。鉱物科学研究所所長、鉱物標本商。理学博士(東北大学)[2]。
人物
[編集]東京都台東区出身[2]。中学時代より鉱物を愛好し、櫻井欽一に師事する[2]。1952年都立上野高校卒業後[2]、北里大学化学科助手として就職[2]。モスクワ大学地質学部留学を経て[2]、1970年帰国[2]。シベリアの石油採掘事業に関わった後[2]、1977年に株式会社鉱物科学研究所を設立[2]。鉱物標本の販売、鑑定、研究を行う[2]。
新鉱物の欽一石(kinichilite、1981)を発見した功績により[2]、1986年に櫻井賞を受賞[2]。同年にアンモニウム白榴石(ammonioleucite、1986)、翌年にはストロナルシ石(stronalsite、1987)を発見した[2]。これらの新興物の発見により、東北大学より理学博士の学位を授与される[2]。その後も2006年に岩代石(iwashiroite-(Y))、2012年に田野畑石(tanohataite)を発見した[2]。
鉱物の普及活動に情熱を傾け、1986年の鉱物同志会設立や1988年の第1回東京国際ミネラルフェアの開催に尽力した[2]。著書『楽しい鉱物学』『楽しい鉱物図鑑』などを通じた普及活動も行い、堀が撮影した鉱物写真は日本国外で高く評価されている[2]。また「開運!なんでも鑑定団」では石の鑑定士としても出演した[2]。
水晶に対して深い思い入れがあることを、著書『水晶の本』で語っている。
著書
[編集]- 『楽しい鉱物学 - 基礎知識から鑑定まで』草思社、1990年、ISBN 4-7942-0379-9
- 『新装版 楽しい鉱物学 - 基礎知識から鑑定まで』、草思社、1999年、ISBN 4-7942-0911-8
- 『楽しい鉱物図鑑』草思社、1992年、ISBN 4-7942-0483-3
- 『楽しい鉱物図鑑2』草思社、1997年、ISBN 4-7942-0753-0
- 『たのしい鉱物と宝石の博学事典』日本実業出版社、1999年、ISBN 4-534-02930-6 ※編著
- 『「鉱物」と「宝石」を楽しむ本』PHP研究所〈PHP文庫〉、2009年、ISBN 978-4-569-67266-3 ※『たのしい鉱物と宝石の博学事典』改題
- 『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』どうぶつ社、2006年、ISBN 4-88622-335-4
- 『鉱物 人と文化をめぐる物語』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2017年、ISBN 978-4-480-09835-1 ※『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』改題、訂正
- 『堀秀道の水晶の本』草思社、2010年、ISBN 978-4-7942-1740-0
- 『愛蔵版 楽しい鉱物図鑑』門馬綱一監修、草思社、2019年、ISBN 978-4-7942-2430-9 ※『楽しい鉱物図鑑』『楽しい鉱物図鑑2』の改訂、合本
翻訳書
[編集]- フェルスマン『石の思いで』理論社〈科学の仲間〉、1956年、国立国会図書館書誌ID:000000816743
- A.E.フェルスマン『石の思い出』草思社、2005年、ISBN 4-7942-1414-6 ※新訳
- G.A.チーホフ『宇宙にも生命は存在する - 宇宙生物学の父チーホフ自伝』学習研究社〈ガッケンブックス〉、1964年、国立国会図書館書誌ID:000004249392
- A.E.フェルスマン『おもしろい鉱物学 - 石に親しむ基礎知識』理論社〈少年科学文庫〉、1967年、国立国会図書館書誌ID:000000817108
- ヴェ・エス・バリツキー、イェ・イェ・リシツィナ『合成宝石』飯田孝一追補、新装飾、1986年
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 門馬綱一 - 堀の教え子の1人。
外部リンク
[編集]- ホリミネラロジー
- nkysdb: 堀 秀道(共著関連データベース 産業技術総合研究所)
- 新鉱物の発見に関わった人たち - ウェイバックマシン(2002年11月3日アーカイブ分)[リンク切れ]