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堀直定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀 直定(ほり なおさだ、寛永13年(1636年) - 寛永19年3月22日1642年4月21日))は、江戸時代前期の大名。越後村上藩の第3代藩主。2代藩主堀直次の長男。母は土井利勝の娘。官位は不明。幼名は千之助。

生涯

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寛永15年(1638年)7月に父が早世し、その翌年に祖父直寄江戸にて死去したため、わずか4歳で跡を継ぐこととなった。この時、幕府の実力者である土井利勝の外孫であるという経緯から3万石を加増されたが、その3万石はすべて叔父の直時に分与している。

寛永19年(1642年)3月22日(異説として3月1日)、7歳で死去した[1]。嗣子がいるはずもなく、村上藩堀家は断絶した。

脚注

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  1. ^ 「(寛永19年)3月6日小出吉英(沢庵)宗彭書状」によれば、疱瘡により死去〈引用元は辻善之助編註『沢庵和尚書簡集』、岩波文庫、1942年、223P〉