基礎科学

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基礎科学(きそかがく、英語:fundamental science)は、諸学問分野の基礎部分を扱う学問である。

この「基礎科学」という用語・概念は、一般的には「応用科学」という用語・概念と対比的に用いられている。

狭義の科学(自然科学)における基礎科学は、物理学化学生物学地学天文学などである。日本では自然科学の基礎研究諸分野を「理学」という用語・概念で呼ぶという日本独特の習慣もあり、「基礎科学」という用語・概念は「理学」と重なるところも多い。

広義の意味の科学(人文科学社会科学自然科学)の基礎、という意味であれば、西洋の伝統ではリベラル・アーツがまさに重要な基礎であり、学問を修める者ならば皆当然のように修得すべき内容だと考えられてきた伝統があり、米国のアイビーリーグでは学生はたっぷり4年間をかけてリベラル・アーツを修得し、それを修めた後にはじめて、分化した学問分野(医学、法学 等々)を大学院で学ぶことが可能になる、という教育システムにしている[1]。米国の有名大学のリーガル・スクールやメディカル・スクールは、あくまで4年間リベラル・アーツを学んで、学問探求をする人々が当然身につけているべき共通言語的な知識を身につけた人が入学できる場所なのである[1]。こうして米国には、教養・常識を身に付けたことで、社会の様々な人々のことを理解することができ、様々な人々の役に立てる人、つまり本当の意味でのエリートを養成する仕組みがあるのである[1]。例えば医師になるにしても、しっかりと文学等々も学び、さまざまな人間が人生を生きる上で味わう幸福や悲しみといったものもよく理解したうえで医学を学び医師になると、はじめて患者ひとりひとりの人間性と向き合える良い医師となることができる[1]

ところが、日本の大学教育のシステムに目線を向けると、日本では(国民が概して貧しかった過去などの事情も影響して)わずか4年間で教育を済ませてしまおうとするようなシステムになっていて、たとえば大学教育の理系教育などでは、リベラル・アーツをしっかり教えるシステムが無く、かわりにかなり貧弱な内容の教養課程しか学ばせず、結局、学生はほぼ無教養なまま、ほとんどいきなり、たったひとつの、"タコつぼ" 的な狭い範囲の学問分野の"専門" 教育ばかりをして、すっかり常識を欠いた人間を作りだしてしまい、そのまま世に送りだしてしまうような仕組みになってしまっている[1][注 1]


脚注[編集]

  1. ^ 例えば、医師を例に挙げると、人間や人生のことが分らないまま医師になってしまい、患者とろくに話もできず、診察時にも患者に少しも目線も向けずコンピュータのモニタばかり見ているような医師だとか、おかしな医師を世に送り出してしまう。また、日本では"一流"とされる大学の理学部や医学部や法学部を出た人間が、オウム真理教の(あきらかに非常識な)嘘にまんまとだまされてしまったことも、そうした日本の大学教育システムの欠陥、リベラル・アーツを学ばせることで幅広い常識を学ばせるプロセスを軽視していることが招いた事態だ、と村上は指摘している。日本の大学教育が作りだす人間は(本人たちは自分のことを"エリート"と錯覚しているかも知れないが)、実際には日本の大学出は(欧米で言う)真のエリートの態はなしていない、といったことも村上は指摘している。(出典:『やりなおし教養講座』)
出典
  1. ^ a b c d e 村上陽一郎『やりなおし教養講座』NTT出版 、2004

関連項目[編集]