坂口財閥

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坂口財閥(さかぐちざいばつ)は、鳥取県米子市の地方財閥。坂口家は、藩政時代“沢屋”と称し、綿、木綿仲買業を営んでいたが、初代坂口平兵衛が、“坂口財閥”と呼ばれるように家業を発展させた。坂口財閥といえば、戦前は全国的にもよく知られた存在だった[1]

歴史[編集]

参考文献[編集]

  • 『米子経済九十年の歩み』(1981年、編集兼発行者 米子商工会議所
  • 『坂口平兵衛意誠 追懐録』(1989年、坂口平兵衛追懐録編集委員会)
  • 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク立風書房 2001年 424-433頁

関連項目[編集]

関連人物[編集]

史料[編集]

昭和15年(1940年)の『日本海新聞』に「古老に聴く弓浜半島」と題した記事があり、明治初年頃の綿作について以下の話を載せている。

「当時弓浜は見渡す限りの綿畑で、秋の収穫期には島根県からことに石州から常男や傭女が働きに来ていた。一日の給金は綿百匁(明治30年頃では8銭か12銭)で大体半期奉公で16円から18円貰って帰ったものである。綿の販路は大部分が米子から津山を経て出ていった。北国船がニシンカス、魚肥を持って来て、冬の間境港に碇泊して綿を買集め航路がつくと北国へ向ったものだ。
一代で米子の大富豪となった初代の坂口平兵衛さんも若い時は籠を背に負い“綿はないかいなー”と一軒一軒朝早くから弓浜の農家を草鞋ばきで歩いたものだ。」

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤朝泰著『豪閥 地方豪族のネットワーク』424頁

外部リンク[編集]