土師和麻呂

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土師 和麻呂(はじ の やまとまろ、持統天皇5年(691年) - 宝亀8年11月9日777年12月13日))は、奈良時代官人官位従五位下大和介

経歴[編集]

神護景雲元年(770年称徳天皇由義宮行幸した際、従五位下に叙せられる。

光仁朝宝亀2年(771年諸陵助に任ぜられる(頭は甲賀王)。宝亀3年(772年三方王とともに淡路国へ派遣され、淳仁天皇墳墓改葬した[1]。宝亀5年(774年大和介に任ぜられるが、任期終了後は老いを理由に引退し、河内国毛受里に住んだという。

宝亀8年(777年)11月9日卒去享年87[2]。最終官位は前大和介外従五位下。

官歴[編集]

続日本紀』による。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』宝亀3年8月18日条
  2. ^ a b c d e f g 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流(宝賀[1986: 1009])

参考文献[編集]