大枝諸上

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大枝 諸上(おおえ の もろがみ、生没年不詳)は、奈良時代末期から平安時代初期の官人氏姓土師宿禰のち大枝朝臣。『大日本古文書』にある土師 諸土、『続日本紀』にある土師 諸士は同一人物と想定される[1]官位正六位上兵部少丞

経歴[編集]

光仁朝宝亀年間前半(772年-773年ごろ)造東大寺史生を務める。

延暦9年12月30日791年2月11日)に桓武天皇の生母である高野新笠一周忌に伴い、同じ系統であるとして[2]土師宿禰から大枝朝臣に改姓した(この時の位階正六位上)。なおこれより先に、高野新笠の母・土師真妹正一位追贈された際、同族の菅原真仲と土師菅麻呂が同時に大枝朝臣が授けられているが[3]、諸上への改氏姓はこれに遅れている。

本貫河内国にあったが、延暦15年(796年)には右京(平安京)に貫付されている。

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本古代人名辭典』第五巻,1419頁
  2. ^ 諸上の大叔母に真妹を当てる系図がある(中田憲信編『好古類纂』第10集,毛利家譜)
  3. ^ 『続日本紀』延暦9年12月1日条
  4. ^ 『大日本古文書(編年文書)』20巻308頁
  5. ^ 『続日本紀』では土師諸士となっている

参考文献[編集]