圓教寺

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圓教寺
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摩尼殿
所在地 兵庫県姫路市書写2968(本坊・事務所)
位置 北緯34度53分28.1秒
東経134度39分29.3秒
座標: 北緯34度53分28.1秒 東経134度39分29.3秒
山号 書寫山(書写山)
宗派 天台宗
寺格 別格本山
本尊 如意輪観音(摩尼殿安置)
創建年 康保3年(966年
開基 性空
正式名 書寫山 圓教寺
別称 西の比叡山
札所等 西国三十三所27番
播磨西国三十三箇所1番
播州薬師霊場16番
神仏霊場巡拝の道75番
文化財 大講堂、鐘楼、金剛堂、食堂、常行堂、奥之院、寿量院、釈迦如来及両脇侍像、四天王立像、阿弥陀如来坐像、性空坐像(重要文化財
公式HP 書寫山圓教寺
地図
圓教寺の位置(兵庫県内)
圓教寺
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圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写山(しょしゃざん)に位置する寺院で、天台宗別格本山である[1]。山号は書寫山(書写山)[2]西国三十三所第27番[3][4]。現住職は第140世。宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である[5]

概要[編集]

食堂より常行堂を望む

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である[4]。京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇法皇も多かった。

境内は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥の院のある「西谷」に区分される[6]。伽藍がある標高371mの書写山は、兵庫県指定の書写山鳥獣保護区(特別保護地区)に指定されている[7]

山内には、姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所があり、そこには本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子・宮本三木之助などの墓もある[8]室町時代応永5年(1398年)から明治維新まで女人禁制であったため、女性は東坂参道の入口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰った[9][10]

近年では、2003年平成15年)公開のハリウッド映画『ラストサムライ[11]のほか、NHK大河ドラマ武蔵』(2003年〈平成15年〉)や『軍師官兵衛』(2014年 〈平成26年〉)のロケ地にもなった。

歴史[編集]

書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる[12][13][14]。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する[15]。創建当初は「書写寺」と称した。仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ、「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる[15]。また一つに、その名は、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられる[11]

性空の生年については、西暦903年説、910年説、928年説があるが[16]、『性空上人伝記遺続集』(三千院所有、重要文化財[17])によれば、性空は延喜10年(910年)の生まれで、貴族の橘氏の出身であったという[16][18]。性空は出家した時、すでに36歳であり、それから約20年間、霧島山脊振山など九州で修行を積んだ後、霊地を求める旅に出て、康保3年(966年)の57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるとされる[19][20]。入山して4年目の天禄元年(970年[21]、天人が書写山内のサクラの霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空が、弟子の安鎮に命じて生木のサクラに如意輪観音の像を刻み、その崖に3間四方の堂を建てた[22]。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建であるという[23]

性空の伝記や説話は『性空上人伝記遺続集』のほか、『元亨釈書』、『今昔物語集』などにも見られる[24]。それらによると、性空は俗事を厭い[25]、栄華や名声に関心がなかったが、都の皇族や貴顕の崇拝が篤かったという[26]。なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え[27]、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立したとされる[28]。花山法皇以外にも、後白河法皇[29]後醍醐天皇[30]など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立が行われている[31]

花山法皇勅願の「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形(輪円)は欠けたところがなく、徳において最も成就した状態を象徴していることから、自己を完成する道を教える寺の意となる[32][33]

武蔵坊弁慶は、一時期、書写山で修行したとされており、机などゆかりの品も伝えられ公開されている[34]。ただし史実である確証はない。一遍一向俊聖国阿らの時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。

天正6年(1578年)、織田信長より中国地方征伐を命じられた豊臣秀吉が、播磨制圧のため乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰った[1][35]。その後、天正8年(1580年)に、長浜より如意輪観音像だけが戻された[1]。この摩尼殿の本尊は、性空の如意輪観音像と同木同作の如意輪観音であり、性空の生木如意輪観音像は、延徳4年(1492年)の[36]真言堂からの火災により、蓮鏡院、如意輪堂とともに焼失している[37]

境内・伽藍[編集]

境内にある樹齢700年のスギ

国の史跡に指定されている圓教寺の境内は[38]、姫路市街の北方およそ8kmに位置する書写山の山上一帯を占め、境内地は東西に長く広がる。市街地から近く、標高も371 mとそれほど高くないが、境内地には自然環境が良好に保持され、山岳寺院の様相を呈する[39]

古来、書写山への登山道として、東坂(ひがしざか)、西坂(にしざか)、六角坂(ろっかくざか)、刀出坂(かたなでざか)、鯰尾坂(ねんびざか)、置塩坂(おしおざか)の6つがあったが[39][40]1958年昭和33年)[10][41]、東坂に沿ってロープウェイが開通してからは、ロープウェイ山上駅から仁王門を経て、摩尼殿へ上る参道が主となっている。

境内地には、明確な境界線はないが、仁王門などのある「東谷」、摩尼殿付近の「中谷」、大講堂・食堂(じきどう)・常行堂(じょうぎょうどう)および奥之院などのある「西谷」に分けられる[42]。西国三十三所観音霊場の札所でもある摩尼殿が一山の中心となる堂であるが、圓教寺の本堂にあたる大講堂や、性空の像を祀る開山堂のある奥之院なども、信仰上重要である。

東谷[編集]

仁王門
圓教寺会館(宿坊
(旧・金輪院)

ロープウェイ山上駅から、ゆるやかに登る参道を歩み、仁王門を経て摩尼殿までは徒歩25分ほどである[43]。山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と称され[44]、左右に、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている[45]1989年完成)。仁王門を通り、寿量院、圓教寺会館、十妙院を過ぎると、参道は「権現坂」と称する下りの階段になり、下りきったところが摩尼殿の縁下である[33][46]

  • 椎名麟三文学碑 - ロープウェイ山上駅近くの広場にある[47]。地元出身の作家・椎名麟三を記念して1980年(昭和55年)に建立されたもの。「言葉のいのちは愛である」の碑文は岡本太郎[47]
  • 慈悲(こころ)の鐘 - 山上駅近くにある鐘楼で、1992年(平成4年)10月建立。鐘は参拝者が自由に撞くことができる[44]
  • 如意輪観音像 - 銅製。本尊(摩尼殿安置)の分身像[48]1987年(昭和62年)11月造立。
  • 西国三十三観音像 - 銅製。慈悲の鐘から仁王門までの参道沿いに並ぶ西国三十三所の各本尊・観音像[45][49]
  • 仁王門 - 切妻造、本瓦葺、桁行(正面)3間、梁間(側面)2間。三間一戸の八脚門江戸時代初期、元和3年(1617年)再建。県指定文化財[50]。安置する木造金剛力士像(仁王像)2体は室町時代の作で、市指定文化財[51]
  • 圓教寺会館(宿坊) - 旧・金輪院。本尊は阿弥陀三尊

中谷[編集]

摩尼殿

「権現坂」を下りきると、元和3年(1617年)に姫路城主となった本多忠政が寄進した湯屋橋という小さな石橋があり[52]、その先の崖上に観音堂である摩尼殿がある[53]

  • 摩尼殿(姫路市指定有形文化財) - 旧・如意輪堂。摩尼殿の号は承安4年(1174年)に参詣した後白河法皇による[1][54](「摩尼」(maṇi) は梵語で「如意」の意[36][55])。 入母屋造、本瓦葺。懸造 (かけづくり、舞台造)の仏堂である[56]。旧堂が1921年大正10年)12月に焼失した後[57]、再建に着手され、1933年(昭和8年)に落慶したもので[56][58]、設計は武田五一である[59]。大工棟梁は帝室技芸員の伊藤平左衛門守道(九代)[60]である。近代の再建ではあるが、伝統様式による木造建築で、1999年(平成11年)、国の登録有形文化財に登録され[59]2015年(平成27年)、市指定文化財となる[61]。内陣に造り付けの大厨子は5間に分かれ、向かって左側の間から広目天増長天、如意輪観音(本尊)、多聞天持国天の各像を安置する。いずれも秘仏で、1月18日の修正会(しゅしょうえ)に開扉する[36][48]
    • 木造如意輪観音坐像 - 1933年(昭和8年)、石本暁海作。本尊の六臂(ろっぴ)の坐像である。像高97.0 cm[36]
    • 如意輪観音坐像 - 摩尼殿の厨子内から発見され[62]2006年(平成18年)の開山性空一千年忌に初めて公開された[36]。サクラの一木造[62]。像高は19.8 cm(台座含30.9 cm)で、像底の銘により延応元年(1239年[36][63]、当時の住僧・妙覚によって供養されたものと判明する。県指定文化財[64]
    • 木造四天王立像(重要文化財) - 持国天、増長天、広目天、多聞天の4体で、内陣厨子に安置する。4体ともヒノキ一木造[65]。摩尼殿再建前は大講堂の釈迦三尊像(釈迦如来および両脇侍像)の周囲に安置されていたもので[65]、寺の創建当時の10世紀(寛和2年〈986年〉[66])の作とみられる[62]
      • 持国天 - 像高131 cm。弘治2年(1556年)に修理された銘がある[65]
      • 増長天 - 像高127 cm[65]
      • 広目天 - 像高123 cm[65]
      • 多聞天 - 像高118 cm。治承3年(1179年)および享保17年(1732年)に修理された銘がある[65]
  • 三十三所堂 - 西国三十三所の観音像を安置。
  • はづき茶屋 - 摩尼殿前。はづき(端月)の名は、性空作「冥きより冥き道にぞ入りぬべき遙かに照らせ山の端の月」からとられた。
  • 本坊(事務所) - 旧・妙覚院。
  • 放生池
  • 石造笠塔婆 - 湯屋橋の手前参道脇にある。高さ137 cm[33][67](総高153 cm)。笠のような石が載る流紋岩質凝灰岩による塔で、上方に定印の阿弥陀坐像の浮き彫りがあり、下方に延慶4年(1311年)造立とわかる銘がある。上部の宝珠は後の時代のもの[68]。県指定文化財。
  • 護法石(弁慶のお手玉石) - 摩尼殿の手前にある[69]直径約1 mの2つの石で、不動明王の化身である乙天(おつてん)と毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が降り立ったと伝えられる。また、弁慶がお手玉にしたともいわれる[70][43]
  • 牛墓 - 永仁5年(1297年)から嘉元4年(1306年)にかけて5回、角の聞に「播州書寫山」の札をつけ、付き添いもない1頭の牛が、上野国群馬県)世良田の長楽寺から圓教寺まで仏具などを運び、5回目に戻った際、いつも休んだ杉の根元で落命。そこに牛を供養し墓標が設けられた[71]

西谷[編集]

左より常行堂・食堂・大講堂

摩尼殿正面の階段下から西へ向かう参道があり、これとは別に、摩尼殿の裏手から西へ向かう山道もあるが、いずれの道を経由しても、徒歩数分で大講堂のある広場に出る。白砂の広場を囲んで、右(北)に大講堂、正面(西)に食堂、左(南)に常行堂の3棟が「コ」の字形に並ぶ一画は[72]、中世の寺院景観を現在に伝えており、これら3棟を総称して「三之堂」(みつのどう)と呼ばれている[73]。「三之堂」は元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷[74][1]永享8年(1436年)の火災で焼失し、現存する各堂は室町時代、15世紀半ばの再建である。大講堂に接して、築地塀で囲まれた本多家廟所がある。元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷で焼失するまで[75]、本多家廟所の地には五重塔が建っていた。五重塔を含めたものが本来の伽藍配置であり、1992年(平成4年)、塔頭(たっちゅう)・十妙院より、五重塔や多宝塔が見られる「播磨国書写山伽藍之図」の版木も発見されている[39]。なお、五重塔に安置されていた[76]平安時代後期の大日如来坐像(木造、像高102.0 cm)が、食堂の宝物館にある[77]。「三之堂」の南方には、鐘楼、法華堂、榊原家墓所、金剛堂などがあり、その南の一段低くなった区域には、松平家墓所および薬師堂がある。「三之堂」の西方には「奥之院」があり、開山堂、護法堂、護法堂拝殿、不動堂などがある。

大講堂
  • 大講堂(重要文化財) - 北側に位置する大講堂は、2重1階、入母屋造、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間。下層は永享12年(1440年)に、上層は寛正3年(1462年)に建造され[13]文明年間(1469-1487年)に全体が整備されたと考えられる。元和8年(1622)年、藩主本多忠政により修復[52]1951年(昭和26年)-1956年(昭和31年)に解体修理された[78]。もともとは寛和 2年(986年)に参詣した花山法皇の勅願により、3間四方の講堂として建立[27][28]。内陣には釈迦如来および両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)像を安置する[79]
    • 木造釈迦如来および両脇侍像(重要文化財) - 釈迦三尊像。3体ともヒノキの一木造、漆箔[80]。四天王立像(現・摩尼殿安置)とともに圓教寺創建期の10世紀の作であり、釈迦三尊像は永延元年(987年)の造立とされる[81]
      • 釈迦如来坐像 - 木造、像高138.2 cm。中尊。貞応元年(1222年)および享保17年(1732年)に修理された銘が像内にある[80]
      • 文殊菩薩立像 - 木造、像高155.8 cm。中尊の右側(向かって左側)[80]
      • 普賢菩薩立像 - 木造、像高155.5 cm。中尊の左側(向かって右側)[80]
常行堂
  • 常行堂(重要文化財) - 常行三昧堂。大講堂に向き合う位置に建つ[82]。方5間、入母屋造の[13]常行堂の北側に、正面(東西[11])10間、側面2間、切妻造の吹き放しの建物が接続する特異な形式の建物である。切妻造の部分は東半部を「中門」(寝殿造の中門廊に似ることによる[13])、西半部を「楽屋」と称し、中央部に唐破風造、1間四方の「舞台」が突出する[11]。屋根はすべて本瓦葺。常行堂の部分は東を正面とし、常行堂の本尊・阿弥陀如来坐像を安置する。寺伝によれば元弘年間(1331-1334年)に建立[83]永享8年(1436年)の焼失後、享徳2年(1453年)に再建[1]1963年(昭和38年)より解体修理された[84]
    • 木造阿弥陀如来坐像(重要文化財) - ヒノキの寄木造、漆箔[85]。像高254.0 cm[51][86]。『延照記』(『円教寺旧記』所収)の記述により、性空の弟子・安鎮により寛弘2年(1005年)頃に造立されたものとわかる[85]。かつては山内にあった往生院大仏殿に安置されていた像で、常行堂が再建された享徳2年(1453年)頃に本尊となる[86]
食堂
  • 食堂(重要文化財) - 別名・長堂[87][88]。古くは三宝院と称された[83]。2階の屋根は隣の常行堂の屋根に接している。桁行(正面)15間、梁間(側面)4間、入母屋造、本瓦葺。総2階建の長大な仏堂である[83]。日本の近世以前の仏堂建築で、このように長大かつ総2階とするものは他に例がない。承安4年(1174年)に参詣した後白河法皇の勅願により建立され、教興坊と称された[88]暦応元年(1338年)に再建、貞和4年(1348年)落慶というが[54]、現在の建物は、様式などにより室町時代中期のものと考えられる[83]。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸(しとみど)とし、腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室とするなど、他に例を見ない構成になっている。1959年(昭和34年)より解体修理された[89]。2階はガラスケースを設置して宝物館としており、食堂の本尊となる僧形文殊菩薩像のほか、寺内の諸堂にあった仏像などがここに移されている[88]。堂内は仏像や絵画などの寺宝が展示されている。
    • 僧形文殊菩薩坐像 - 木造、像高84.5 cm。江戸時代(1700年)。食堂には、本尊を安置する須弥壇はないが、「聖僧」として僧形の文殊菩薩坐像が置かれた[88]
  • 弁慶の鏡井戸 - 食堂の脇にある[69]。弁慶が顔を映したといわれる[90]
  • 大黒堂
  • 愛宕社 - 大講堂の北側に位置し、本殿が覆屋内にある。大火により各堂が消失したことで、火伏せの神として建立されたといわれる。一間社流造栩葺(とちぶき)。様式より17世紀末-18世紀初頭のものと考えられる[91]。市指定文化財。
  • 杣観音堂 - 本尊は石造如意輪観音像。1978年(昭和53年)に再建された[42]
  • 大仏 - 青銅の毘盧遮那仏。宝蔵跡より真言堂の跡地に移座[42]
  • 白山権現 - 別名・十一面堂[43]。十一面観音を祀る[42]。大講堂裏または摩尼殿裏から木の根道を登った標高368 mの白山峯に位置する[42]。性空が庵を結んだ場所とされるが[92]、性空の来山以前から素盞嗚命が祀られていたという[42]
鐘楼
  • 鐘楼(重要文化財) - 入母屋造、本瓦葺。桁行3間、梁間2間。様式は袴腰付で腰組をもった正規の鐘楼である。鎌倉時代、寺記によれば元亨4年(1324年)に鐘を再度鋳造したとあり[83]、鐘楼は元徳3年・元弘元年(1331年)に焼失[93]、元徳4年・元弘2年(1332年)に再建されたという[94]。構造からも14世紀前半に建立されたものと考えられるが、15世紀中頃に修理された跡も見られる[83]
    • 銅鐘 - 県指定文化財[95]
  • 法華堂 - 法華三昧堂。本尊は普賢菩薩。
金剛堂
  • 金剛堂(重要文化財) - 旧塔頭・普賢院の持仏堂[42]。室町時代、1544年天文13年)建立。方3間[96]。入母屋造、本瓦葺[13]1958年(昭和33年)に修理された[94]
  • 展望公園 - 普賢院の跡地[42]
  • 薬師堂 - 別名・根本堂[50][99]、根本中堂[42][100]。方2間に1間の礼堂を備える[99]。薬師如来を祀り、円教寺を開山した性空の創建と伝えられるが[50]、それ以前より方2間の草堂があったことが認められており[101]、性空により方3間の堂となったといわれる[99]。寺記「捃拾集」によれば、鎌倉時代、延慶元年(1308年)に焼失、また、元応元年(1319年)に再建とあり、現在の堂は様式からもその時のものと考えられることから、現存する円教寺最古の遺構とされる[50]。1978年(昭和53年)に解体修理された[99]。県指定文化財。
    • 薬師如来坐像 - 木造、像高86.2 cm。室町時代の作。本尊は豊臣秀吉の乱入の際、近江に持ち帰ったため、「菅生(すごう)の薬師」と呼ばれた本像を[51]、菅生(姫路市)の寿勝寺より移したといわれる。現在は、食堂2階の宝物館に移座[102]
  • 開山堂(重要文化財) - 宝形造(方形造)[88]、本瓦葺、桁行5間、梁間6間[103]。開山の性空を祀る。寺記によれば、性空が没した寛弘4年(1007年)、性空の高弟・延照が創建したとするが、現在の堂は江戸時代初期、寛文11年(1671年)に再建されたものである[50][104]
  • 木造性空坐像(重要文化財) - 開山堂の本尊として厨子内に安置。像高89.6 cm[105]。『性空上人伝記遺続集』所載の記録によれば、本像は弘安9年(1286年)に焼失した旧像に代わり、正応元年(1288年)に慶快が作ったものである[77]。旧像の像内にあった瑠璃壺に納められた性空の遺骨が焼け残ったので、新像にあらためて納入されたという[106]2008年(平成20年)、奈良国立博物館によるエックス線撮影調査により、本像の頭部内には、所伝どおり遺骨が納入された瑠璃壺が納められていることが判明した[107]。また翌年の2009年(平成21年)6月、解体修理中の開山堂須弥壇下から、石櫃、五輪塔、夥しい数の経石が発見され、石櫃内に分骨された性空の遺骨が発見された。蔵骨器を納めた桐箱に「性空御真骨」の文字がある。
御真骨の分骨は、弘安9年(1286年)の火災の時で、一部は慶快作の性空像の頭部に、残りは須弥壇下に納めた。さらに石櫃の下には御遺灰が埋納されていることが記されている。なお、この分骨のことは一切記録がなく、2010年(平成22年)4月に発表された。
  • 性空上人坐像 - 1998年(平成10年)、塔頭・仙岳院の土蔵から発見されたもので[108]、本尊を納める厨子の手前に安置されている[105]。一木造。像高78.0 cm[109]。11世紀初頭の作とされる[110]。県指定文化財。
  • 伝・左甚五郎作の力士像 - 開山堂軒下の三隅にある3体[105]。1体は重さに耐えかね逃げ出したという伝承がある[111]
護法堂
手前が若天社、奥が乙天社
  • 護法堂 乙天社・若天社(重要文化財) - 開山堂の右前に2棟並ぶ、それぞれ1間、社隅木入春日造の社殿。檜皮葺(ひわだぶき)。室町時代後期、永禄2年(1559年)建立[112][113]。各社前に、寛文年間(1661-1672年)に建立された石造の明神鳥居がある。乙天・若天は、性空を守護した護法童子とされ、それぞれ不動明王・毘沙門天の化身とされる[103][114]
護法堂拝殿
  • 護法堂拝殿(重要文化財)- 切妻造、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)2間の懸造の細長い建物。「弁慶の学問所」として知られる[69][50][115]。天正17年(1589年)建立[116][117]1962年(昭和37年)に解体修理された[50]
  • 不動堂 - 延宝年間(1673-1681年)に建立。明王院の乙護法を祀る。元禄10年(1697年)、姫路城主・松平直矩により修理され、大経所を合祀。堂は山内唯一の丹塗りで[42]、俗に赤堂と称されていた[99]1967年(昭和42年)の暴風雨による土石流で全壊し、1976年(昭和51年)に再建された[42]
  • 和泉式部歌塚 - 鎌倉時代、天福元年(1233年)の[42]宝篋印塔(ほうきょういんとう)。開山堂の横にある[118]
  • 行者堂 - 元徳3年・元弘元年(1331年)建立[54]。天正18年(1590年)に再興されたといわれる。本尊は神変大菩薩(役行者)[42]、ほかに不動明王。奥之院の北西方、鯰尾坂参道から北に分かれた行者道沿いにある。
  • 弁天堂 - 行者堂近くにある。
  • 文殊堂 - 西坂参道の中腹にある。

塔頭[編集]

十妙院客殿および庫裏
(手前が庫裏、左奥が客殿玄関)
十妙院唐門
  • 寿量院 - 旧・中坊院[42]長和3年(1014年)、性空の高弟・延照が建立。承安4年(1174)に後白河法皇が7日間参籠した[29]。本尊・阿弥陀如来。1966年(昭和41年)-1967年(昭和42年)に解体修理された[41]。客殿および庫裏と棟門(むなもん)は重要文化財。
  • 十妙院 - 元禄4年(1691年)建立[119]。本尊・千手観音立像、脇侍は勝軍地蔵・毘沙門天。狩野永納襖絵[120]。1995年(平成7年)に解体修理が完了した[119]。客殿および庫裏と唐門(からもん)は重要文化財。
  • 妙光院 - 本尊・阿弥陀如来坐像[121]
  • 瑞光院 - 本尊・如意輪観音[122]
  • 仙岳院 - 本尊・金剛界大日如来。ほかに地蔵菩薩、観世音菩薩、不動明王、性空上人像を安置。山崎雲山襖絵。
  • 十地院 - 本尊・阿弥陀如来。

墓所[編集]

本多家廟所(正面奥)
榊原家廟所
  • 本多家廟所(県指定文化財) - 姫路城主3人を含む本多家の墓所である[123]。大講堂東側、塀で囲まれた一画に5棟の宝形造(方形造)、本瓦葺、方2間の堂が建ち、それぞれ本多忠勝忠政政朝政長忠国の墓碑である五輪塔を安置する[68][123]。うち、忠政、政朝、忠国が城主となった[124]寛永3年(1626年)に建立された忠勝の廟堂の西隣にある2基の五輪塔は、千姫の婿・本多忠刻とその子の幸千代の墓である[125]。忠刻は姫路藩主・本多忠政の長男であるが、藩主にならずに早世したため、堂は建てられていない[124]。忠刻の塔の背後には、忠刻に殉死した宮本三木之助[8]と岩原牛之助、および三木之助に殉死した宮田角兵衛の墓がある[8]。また、政朝の廟堂内には、政朝に殉死した大谷三兵衛政明の墓がある。この廟所は日曜・祝日のみ開門する[52]。本多家以前、この場所には元徳3年・元弘元年(1331年)の焼失まで、五重塔が建っていた。
  • 榊原家廟所 - 鐘楼の近くの石垣上にある。榊原氏は前後2回にわたり姫路藩主となったが、そのうち榊原政房政祐の墓塔がここにある。廟所は榊原政岑により建立されたが、越後高田藩転封のため、政岑の墓はない[125]
  • 松平家廟所(大和霊廟) - 鐘楼近くの一段低くなった土地にある。徳川家康の孫にあたる松平直基の墓塔がある。直基は山形から移封先の姫路へ赴く途上に没し、子の松平直矩がその分骨を納めた[125]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 大講堂 - 1913年(大正2年)4月14日指定
  • 鐘楼 - 1913年(大正2年)4月14日指定
  • 金剛堂(附: 厨子1基) - 1913年(大正2年)4月14日指定(厨子は1955年6月22日追加指定)
  • 食堂 - 1955年(昭和30年)6月22日指定
  • 常行堂 - 1955年(昭和30年)6月22日指定
  • 奥之院(以下の4棟)[126]
    • 開山堂(附: 宮殿1基、棟札3枚、柱敷板1枚)- 2014年(平成26年)1月27日指定[127]
    • 護法堂(乙天社及び若天社)2棟(附: 厨子2基、棟札5枚、鳥居2基) - 1955年(昭和30年)6月22日指定(棟札5枚のうち1枚と鳥居2基は2014年1月27日追加指定)[127]
    • 護法堂拝殿(附: 棟札2枚) - 2014年(平成26年)1月27日指定[127]
  • 十妙院(以下の2棟)
    • 客殿及び庫裏 - 2014年(平成26年)1月27日指定[128]
    • 唐門 - 2014年(平成26年)1月27日指定[129]
    • (附: 土塀) - 2014年(平成26年)1月27日指定[130]
  • 寿量院(以下の2棟)
    • 客殿及び庫裏 - 1956年(昭和31年)6月28日指定
    • 棟門 - 2014年(平成26年)1月27日指定 - 2014年(平成26年)1月27日指定[127]
    • (附: 土塀) - 2014年(平成26年)1月27日指定[127]
十妙院と寿量院の建造物はそれぞれ宗教法人十妙院、宗教法人寿量院の所有[131]
  • 木造釈迦如来及両脇侍像(大講堂安置) - 1923年(大正12年)3月28日指定
  • 木造四天王立像(摩尼殿安置) - 1923年(大正12年)3月28日指定
  • 木造阿弥陀如来坐像(常行堂本尊) - 1995年(平成7年)6月15日指定
  • 木造性空坐像(開山堂安置) - 2009年(平成21年)7月10日指定[132]

典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

史跡(国指定)[編集]

県指定文化財[編集]

  • 仁王門 - 1968年(昭和43年)3月29日指定[50][64]
  • 石造笠塔婆 - 1961年(昭和36年)5月12日指定[64]
  • 薬師堂 - 1965年(昭和40年)3月16日指定[50][64]
  • 本多家廟屋 - 1970年(昭和45年)3月30日指定[64][68]
  • 銅鐘 - 1964年(昭和39年)3月9日指定[64][94]
  • 木造金剛薩埵坐像 - 1969年(昭和44年)3月25日指定[64][65]
  • 性空上人坐像 - 2008年(平成20年)3月21日指定[64]
  • 如意輪観音坐像 - 2008年(平成20年)3月21日指定[64]

市指定文化財[編集]

  • 摩尼殿 - 1999年(平成11年)6月7日に登録有形文化財[59]を経て、2015年(平成27年)1月19日指定[61]
  • 愛宕社本殿 - 2013年(平成25年)1月16日指定[61]
  • 木造金剛力士像(仁王門安置) - 1989年(平成元年)2月28日指定[51]
  • 鬼追い会式 - 2002年(平成14年)8月28日指定[134]

行事[編集]

  • 諸堂拝礼国禱会 - 1月1日[135][136]。摩尼殿・開山堂・諸堂。
  • 修正会(鬼追い会式) - 1月18日。市指定無形文化財。白山権現・摩尼殿[135]。一般に赤鬼・青鬼といわれるが、性空を守護した護法童子であり、赤鬼は若天、青鬼は乙天である[136]。1921年(大正10年)の摩尼殿の焼失とともに什物(じゅうもつ)などすべてが失われたため、現在、使用される鬼面の原型作者は高村光雲六角紫水が乾漆で作成したもので、1923年(大正12年)に奉納された[67]
  • 星祭り・節分会 - 2月3日。摩尼殿[135][136]
  • 花山法皇御忌 - 2月8日。大講堂[135]。花山法皇命日(寛弘5年(1008年) 2月8日〈旧暦〉)の報恩法要。
  • 涅槃会(ねはんえ) - 2月15日。摩尼殿[135]釈迦入滅(旧暦 2月15日)の法要。涅槃図(室町時代末期)を掛け、遺教経(ゆいきょうぎょう)を読誦する[136]
  • 法華経不断読誦会 - 3月6-9日。開山堂[135]。明治以降中断、1997年(平成9年)復興。
  • 胎蔵界曼荼羅供(たいぞうかいまんだらく) - 3月10日。開山堂。性空命日(寛弘4年(1007年) 3月10日〈旧暦〉)の法要[137]
  • 彼岸中日施餓鬼会 - 3月21日[136]。摩尼殿[135]
  • 開山性空上人忌 - 4月10日。開山堂[135]。性空命日(新暦4月10日)の法要[136]
  • 仏生会(ぶっしょうえ)・花まつり - 5月8日。摩尼殿[135]。別名・灌仏会(かんぶつえ)[136]
  • 勧学会(かんがくえ) - 5月28日。護法堂拝殿[135]。法華経の問答が行われる[136]
  • 山家会(さんげえ) - 6月4日。摩尼殿。天台宗の宗祖・最澄命日(弘仁13年(822年) 6月4日〈旧暦〉)の報恩法要[135][136]
  • 四万六千会 - 8月9日。摩尼殿。この日の参詣は4万6000回参詣した功徳があるといわれる[135][136]
  • 彼岸中日施餓鬼会 - 9月23日[136]。摩尼殿[135]
  • 天台会 - 11月24日。摩尼殿[135]天台大師の追恩法要[136]
  • 成道会(じょうどうえ) - 12月8日。摩尼殿[135]。釈迦が悟りを開いた日(旧暦12月8日)の記念法要[136]
  • 三千仏名会礼拝行 - 12月14-16日。大講堂[135]。14日・過去仏、15日・現在仏、16日・未来仏、それぞれ1,000の仏名を唱える[136]
  • 諸堂回向・除夜 - 12月31日。諸堂[135][136]

御詠歌[編集]

  • 西国第27番
はるばると 登れば 書写の山おろし 松の響きも 御法(みのり)なるらむ
  • 播磨西国第1番
何ごとも こころにかなう 山なれば これも 仏の えんぎょうじかな

前後の札所[編集]

26 一乗寺27 圓教寺 - 28 成相寺
74廣峯神社75 圓教寺 - 76 赤穂大石神社
1 圓教寺 - 2 性海寺
15 随願寺16 圓教寺 - 17 圓明寺
書寫山圓教寺 - 増位山随願寺 - 八徳山八葉寺 - 文殊山神積寺 - 蓬萊山普光寺 - 法華山一乗寺

拝観料[編集]

大学生以上1人 志納金¥500、送迎マイクロバスサービスを含んだ特別志納金¥1,000

交通[編集]

神姫バス姫路駅北口-書写山ロープウェイ[43]書写山ロープウェイが山麓駅-山上駅を連絡している。書写山ロープウェイバス停-山麓駅と山上駅-圓教寺は徒歩。

神姫バス
姫路駅北口から神姫バス8系統で、終点「書写山ロープウェイ」まで所要約28分[43]。書写山ロープウェイバス停からロープウェイ山麓駅まで徒歩すぐ。
神姫バス駅前ターミナルで、バス+ロープウェイ(何れも往復)割引セット券を取り扱っている[43]
書写山ロープウェイ
山麓駅で書写山ロープウェイ乗車、山上駅まで所要約4分。山上駅から徒歩。 摩尼殿までは有料送迎マイクロバスあり。
  • 乗車料金=大人往復¥900(片道¥500)、小人往復¥450(片道¥250)。
  • 団体料金=15名様以上一般団体1割引、学生団体2割引。100名様以上一般2割引、学生3割引。300名様以上一般3割引、学生4割引。
  • 始発時間 - 年間を通じて8:30。毎時00、15、30、45分の15分ごとに運転。定員71名。
  • 下り最終時間
    • 4月1日から10月10日は、平日18:00、日曜日・祝日19:00。
    • 10月11日から11月30日は、平日17:00、日曜日・祝日18:00。
    • 12月1日から2月末日は、全日17:00が最終。
    • 3月1日から3月31日は、すべて18:00。

自家用車[編集]

カーナビゲーションは、「書写山ロープウェイ」で検索[43]。無料駐車場あり。

  • 姫路城から、北西に約6 km[6]

参道[編集]

徒歩で登る場合、主に次の6つの参道がある。何れも山麓の起点には神姫バス停留所が近い。

  • 東坂参道 - 東坂13丁目付近は、弁慶が長刀を研いだという伝承により「砥石坂(といしざか)」と称される[42]。書写山の山上駅付近は東坂13丁目。仁王門まで山麓から全18丁[42]、約1.1 km。主となる登山ルート。近畿自然歩道の一部[44]。岩場が多く、全体に急峻。東坂本の如意輪寺(旧・女人堂)が起点。
  • 西坂参道 - 西坂本の日吉神社、旧・観音寺(現・安養寺)が登山の起点。6つの参道のうち最も傾斜がきつい。丁石は塔頭・十妙院前が1丁目の起点で、山麓の旧・観音寺が18丁目。旧・観音寺は女人堂の役目を持っていた。
  • 置塩坂参道 - 比較的ゆるやかで整備されている。途中に磨岩仏などが多い。西国第28番の成相寺へ向かう巡礼道。別名・なりあい道、丹後道とも。魔尼殿に直通している。
  • 六角坂参道 - 六角村が起点。谷川沿いに参道が続く。あまり整備されていない自然道。魔尼殿に直通している。
  • 刀出坂参道 - 近畿自然歩道は、東坂参道から境内を経て、刀出坂を通って刀出村へと通じ、龍野へ向かう。
  • 鯰尾坂参道 - 新在家から開山堂まで約3 km。もっとも緩やかで長い。彌勒寺(弥勒寺)参詣道。

周辺[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 古寺を巡る24 (2007)、2頁
  2. ^ 書写山 (1991)、1頁
  3. ^ 古寺を巡る24 (2007)、2・7頁
  4. ^ a b 書写山 (1991)、9頁
  5. ^ 法人名表記が「円教寺」であることは、平成26年1月27日文部科学省告示第4号及び第5号(建造物の重要文化財指定の告示)などで確認できる。
  6. ^ a b 書写山の観光施設”. 書写山ロープウェイ. 2015年10月18日閲覧。
  7. ^ 1. 鳥獣保護区(県指定) (PDF)”. 兵庫県. 2015年10月18日閲覧。
  8. ^ a b c 書写山 (1991)、30頁
  9. ^ 書写山 (1991)、13-14頁
  10. ^ a b 古寺を巡る24 (2007)、2・4頁
  11. ^ a b c d 古寺を巡る24 (2007)、26頁
  12. ^ 書写山 (1991)、39・119・123頁
  13. ^ a b c d e 日本の文化遺産 建造物編(下) (2008)、121頁
  14. ^ 古寺を巡る24 (2007)、2・6・14-15頁
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  18. ^ 書写山 (1991)、50頁
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  21. ^ 書写山 (1991)、55頁
  22. ^ 古寺を巡る24 (2007)、2・6・8頁
  23. ^ 書写山 (1991)、22・123頁
  24. ^ 林雅彦「性空上人説話攷 - 奇瑞・奇特譚を中心に」、『学習院女子短期大学国語国文学会国語国文学論集』第3号1974年
  25. ^ 古寺を巡る24 (2007)、34頁
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  127. ^ a b c d e 平成26年1月27日文部科学省告示第5号
  128. ^ 平成26年1月27日文部科学省告示第4号
  129. ^ 平成26年1月27日文部科学省告示第4号
  130. ^ 平成26年1月27日文部科学省告示第4号
  131. ^ 平成26年1月27日文部科学省告示第4号及び第5号(重要文化財指定の告示)
  132. ^ 平成21年7月10日文部科学省告示第106号
  133. ^ 円教寺境内”. 文化遺産オンライン - 文化遺産データベース. 文化庁. 2015年10月26日閲覧。
  134. ^ 市指定文化財(有形・無形民俗文化財)”. 姫路市. 2015年10月26日閲覧。
  135. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 古寺を巡る24 (2007)、41頁
  136. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 書写山 (1991)、116-122頁
  137. ^ 古寺を巡る24 (2007)、5・41頁
  138. ^ 小惑星に「円教寺」命名 姫路ゆかりの天文家提案

参考文献[編集]

  • 「円教寺」、『小学館ウイークリーブック 週刊 古寺を巡る』第24巻、小学館2007年7月
  • 奈良国立博物館、NHKプラネット近畿編『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』(特別展図録)、2008
  • 「特集 祈りの山 書写山のすべて」『BanCul』40号(2001年夏)、姫路市文化振興財団
  • 「特集 書写山円教寺と性空のドラマ」『BanCul』58号(2006年冬)、姫路市文化振興財団
  • 『書写山 遊歩ガイド』 寺林峻編、神戸新聞総合出版センター、1991年ISBN 4-87521-699-8
  • 『写真資料 日本の文化遺産 建造物編(下)』 日本図書センター2008年ISBN 978-4-284-80002-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]