善行旌表

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善行旌表(ぜんこうせいひょう)は、人の善行をほめて、広く世間に示すこと。しばしば為政者により政策の一環としておこなわれた。

概略[編集]

日本においては、大宝2年、孝順者旌表の詔勅がくだされてから、奈良時代平安時代によくおこなわれた。

とくに、元号改元天皇即位、変災の勃発などがあったときに、孝子、順孫、節婦、義僕、力田者(りきでんしゃ)などが賞された。

江戸時代になるとさらにさかんにおこなわれ、享保5年、徳川吉宗は篤行者旌表の規定をもうけ、寛政10年、松平定信は孝子、奇特者のおおがかりな調査をおこない、「孝義録」、「孝義録続編」を刊行した。 諸藩においてもこれにならって旌表があいついでおこなわれ、「芸備孝義録」、「加能越三州良民伝」などをはじめ、この種の善行表彰録の刊行はおおかった。

明治になって、勅令によって褒章条例がさだめられ、人命救助者、孝子、順孫、義僕、精励実業家、発明改良家、教育、衛生、社会事業、防疫の諸事業、道路、河渠、堤防、橋梁の修築、学校、病院の建設、田野の墾闢などにつくして公衆の利益をはかり、成績のすこぶる顕著なものにたいして褒章をあたえることにした。 各県でもしきりに善行者を表彰し、民間の教化団体もまたおこなった。

大正15年、宮内省はとくに徳行者を表彰し、「大正徳行録」を編纂刊行した。