向井寛三郎
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むかい かんざぶろう 向井 寛三郎 | |
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向井寛三郎の肖像 | |
生誕 |
1889年 日本 大阪府交野市 |
死没 | 1958年 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都高等工芸学校 |
職業 | 図案家、京都高等工芸学校教授 |
向井 寛三郎(むかい かんざぶろう、1889年 - 1958年)は、大阪府出身の染織家、図案家。
京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授。武田五一の門下生のうちの一人。
概略
[編集]来歴・人物
[編集]大阪府(現在の交野市)出身。京都高等工芸学校図案科卒業。1917年に母校京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科へ招聘された。
1931年にドイツへ留学、ライマン工芸学校で室内装飾、平面図案、建築を学んだ[1]。帰国後は図案に科学的定義づけを行った[1]。
西洋建築史家の向井正也は子息に当たる。
- 武田五一、本野精吾、洋画家の都鳥英喜、浅井忠の門下生(助手)で、武田らの著書編纂にも携わる。[1]
- 1923年9月の大阪府産業工芸博覧会で審査委員。
- 1927年9月に丸紅商店の第1回染織逸品会図録の序を書く。[1]
- 旧そごう心斎橋本店の内装を手がける。
- 1939年に名古屋帝国大学開学の記念の絵はがきの原図を描く。
- 雪見障子の考案者。
主な作品
[編集]- 叢(雁帰る):図案 1928年(昭和3年)/丸紅ミュージアム所蔵[1]
- 京都府立東舞鶴高等学校校章:図案 1948年(昭和23年) - 全校生徒から案を募集し、優秀作2点を基にして向井が考案[2]
主な出版物
[編集]- 『指導刷新図画科の智識』 積善館、1925年
- 『図案への通路』 創生社、1930年
- 『図案学』 工業図書、1937年