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吉良竜夫

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吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日[1] - 2011年7月19日[2])は、日本生態学者。本名は龍夫[1]理学博士大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。

来歴・人物

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大阪市生まれ[1]。父は大阪府四條畷市曹洞宗寺院龍尾寺住職貝類研究家の吉良哲明[1]。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた[1]。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校[1]、旧制第三高等学校を経て[1]、1942年京都帝国大学農学部卒業[要出典]京都帝国大学在学中には、今西錦司森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈ポナペ島の探検に参加した[要出典]

1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任[1]温量指数を用いた日本森林帯論を著すも、1949年に京都大学を辞職し[1]大阪市立大学理工学部教授に着任する[1]

1998年、吉良のコスモス国際賞受賞を記念して、日本熱帯生態学会が「吉良賞」を創設した[3]

略歴

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  • 1919年 - 大阪市に生まれる。
  • 1927年 - 大阪府立北野中学校卒業
  • 1942年 - 京都帝国大学農学部卒業
  • 1948年 - 京都帝国大学農学部助教授に着任(園芸学)。
  • 1949年 - 大阪市立大学理学部教授に着任(植物生態学)。
  • 1982年 - 滋賀県琵琶湖研究所の初代所長に就任(1994年まで)。
  • 2011年7月19日 - 脳梗塞のため死去。91歳没[2]

受賞歴

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研究成果

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吉良の研究成果については枚挙に暇が無いが、特に次のものが挙げられる。
1939年から1948年
  • 日本およびアジアにおける植物地理学の研究と温量指数の考案
1949年から1981年
  • 高等植物の個体群における実験的研究
  • 森林生態系の基礎解明
1982年以後
  • 琵琶湖およびその周辺水域における環境動態の研究

脚注

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関連項目・人物

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外部リンク

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