右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法

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右門捕物帖 三十番手柄
帯解け仏法
監督 山中貞雄
脚本 山中貞雄
原作 佐々木味津三
出演者 嵐寛寿郎
撮影 吉田清太郎
製作会社 嵐寛寿郎プロダクション
配給 新興キネマ
公開 日本の旗 1932年9月15日
上映時間 65分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法』(うもんとりものちょう さんじゅうばんてがら おびとけぶっぽう)は、嵐寛寿郎プロダクションが製作し、1932年(昭和7年)に公開された、山中貞雄監督による日本の長編劇映画、サイレント映画時代劇映画である。

同作をもとに1951年(昭和26年)、安田公義監督により『右門捕物帖帯とけ仏法』のタイトルでリメイクされるが、これについても本項で詳述する。

あらすじ[編集]

江戸の庶民の間で「帯解け仏法」という宗教が流行っていた。この仏法さえ信心すれば、どんな恋でも成就できるという噂に惹き寄せられ、町の後家さん、お妾さん、親の許さぬ恋に悩む若い男女と、猫も杓子も押し掛ける。これをむっつり右門、なにやらクサイ話だと怪しむところへ折しも、小町娘のおふみがかどわかされ、寺に連れ込まれるという事件が発生。得意の推理を働かせ、信徒をだまし狼藉をはたらくインチキ宗教の裏を、見事暴いてみせるむっつり右門だった。

概要[編集]

時代劇スタア嵐寛寿郎の、鞍馬天狗に並ぶ代表的キャラクター「むっつり右門」の登場する「右門シリーズ」第七作目。新興キネマが配給し、1932年(昭和7年)9月15日に浅草電気館で公開された。併映は不二映画の『金色夜叉』。

1929年(昭和4年)、東亜キネマ京都撮影所が製作した嵐寛寿郎主演、橋本松男監督の『右門一番手柄・南蛮幽霊』以来、1931年(昭和6年)の第5作、仁科熊彦監督の『右門捕物帖・十八番手柄』からは製作元が嵐寛寿郎プロダクションに移っても、継続して同シリーズの脚本を執筆してきた山中貞雄が、同シリーズにおいて初めて監督した作品である[1]

原作は、佐々木味津三の短篇「帯解け仏法」である。なお、この原作は『右門捕物帳』シリーズとは別個の短篇小説である。

上映用プリントについては、いずれのヴァージョンも現在、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[2]、オリジナル版に関して、サイレント・フィルムを多く所蔵するマツダ映画社も所蔵していない[3]。サイレント版は現在、鑑賞することの不可能な作品である。リメイク版は近年CSで放映されたことがある。山中によるシナリオに関しては、出版もされており、青空文庫での閲覧も可能である[4]

エピソード[編集]

山中貞雄は本作の前に、文芸超大作『小笠原壱岐守』を、雲隠れした仁科熊彦に代わって監督したが、稀に見る不入りにより、四日で上映打ち切りという興行的惨敗となってしまった。山中は「寛プロにいては結局鞍馬天狗かむっつり右門しかないのか」と、すっかり嫌気がさしてしまったという。続いてシリーズ娯楽物の本作を監督したところ、これが大入りとなり、二週続映の大ヒット。これにショックを受けた山中は、次回作の「寛プロ独立一周年記念映画」『天狗廻状』の脚本を書いたあと、アラカンに辞意を伝え、『天狗廻状』の前篇だけ撮って寛プロを辞めている。

本作は公開後に、当局の検閲に引っ掛かってしまった。警視庁からアラカンはじめスタッフ一同の出頭命令が下った。事情を訊くと、劇中で「ちょんぎれ松が寺の本堂の引き窓から中を覗き、右門のライバルのあばたの敬四郎がおふみを押さえつけてあわや」という場面があり、ここは客が笑うところなのだが、このとき「あば敬」役の尾上紋弥が「股間を手で抑える」という即興の演技を入れていて、これが引っ掛かったのだった。「手をカットしろ、何をしたかわかってしまう、風俗壊乱である、非常時を何と心得るか」と大変な剣幕で怒鳴りつける担当官に、キャメラの吉田清太郎は「いやあれは違います、これからするところなんです」と弁解、アラカンも「まちがいおまへん、断じてしておりません」と必死に援護した。監督の山中は下を向いて「あー、ちょんぎれちょんぎれ」(「ちょんぎれ」は山中の口癖)とぶつぶつ呟くばかりだったという。

これだけのことでわざわざ京都から東京まで呼びつけられ、アラカンはあきれたというが、警視庁の本音は「むっつり右門」は現代での刑事であり、「あば敬」も刑事であるから、それを笑い物にするとはけしからん、というのが本当のところだったようである[5]

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

リメイク版[編集]

右門捕物帖帯とけ仏法
監督 安田公義
脚本 三村伸太郎
原作 佐々木味津三
製作総指揮 竹中美弘
出演者 嵐寛寿郎
音楽 仁木他喜雄
撮影 友成達雄
製作会社 新東宝
綜芸プロダクション
配給 新東宝
公開 日本の旗 1951年8月10日
上映時間 86分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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右門捕物帖帯とけ仏法』(うもんとりものちょう おびとけぶっぽう)は、1951年(昭和26年)製作・公開、安田公義監督による日本の長編劇映画、剣戟映画である。山中貞雄監督の『右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法』(1932年)のリメイクで、オリジナルと同じく嵐寛寿郎が主演している。

概要[編集]

第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)、新東宝綜芸プロダクションと提携して製作した作品。かつて脚本集団「鳴滝組」を結成して、山中らとともに共同執筆をしていた脚本家の三村伸太郎が、佐々木の小説と山中の脚本をもとに改めて脚色したものである。このリメイク版では、「むっつり右門」役は引き続き嵐寛寿郎が演じ、「おしゃべりの伝六」役はオリジナル版の頭山桂之助に代わって、榎本健一が演じている。

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

ビブリオグラフィ[編集]

国立国会図書館蔵書[7]。青空文庫は除く。

[編集]

  1. ^ シリーズ一覧 - 右門一番手柄 南蛮幽霊日本映画データベース、2010年1月18日閲覧。
  2. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年1月19日閲覧。
  3. ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇マツダ映画社、2010年1月19日閲覧。
  4. ^ 山中貞雄青空文庫、2010年1月19日閲覧。
  5. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』(竹中労、白川書院)
  6. ^ Film Calculator Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.換算結果、コダック、2010年1月19日閲覧。
  7. ^ OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2010年1月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]