古川正彦
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古川 正彦[1][2](ふるかわ まさひこ、1902年(明治35年)5月1日[3] - 1942年(昭和17年)9月19日[4])は、日本の醸造家、実業家、地家主[3]、広島県多額納税者[3]。
人物
[編集]山口県出身[2]。男爵・毛利祥久の五男[2][3][5]。古川久吉の養子となる[2][3][5]。1926年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業[2][6]。1929年、法学部英法科を卒業[2][6]。醤油醸造業を営む[2][6]。
藝備鉄道取締役、梅田機械製作所監査役などをつとめる[3]。また地主・家主である[3]。趣味は碁、釣[3]。宗教は真宗[3]。住所は広島市舟入幸町[2][3]。
『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』によると、古川正彦(調査年月・1936年11月)は「正身身代・G、信用程度・Aa、職業・地主」である[7]。
家族・親族
[編集]- 古川家
- 養父・久吉(1870年 - ?、醤油醸造業[1]、藝備銀行取締役、広島株式取引所理事) - 住所は広島市堺町四丁目[1]。
- 妻・花子[1][2](1905年 - ?、養父久吉の長女[3])
- 長男[2][3]
- 二男[2][3]
- 長女[2][3]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『日本紳士録 第35版』広島フ、ヘ、ホ、マの部21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』744頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』広島34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月12日閲覧。
- ^ 戦死。『平成新修旧華族家系大成』下巻、733頁。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』モ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月12日閲覧。
- ^ a b c 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』フ630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月8日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』広島県フ之部28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』商業興信所、1937年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』早稲田大学校友会、1939年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年。