南陽慧忠

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南陽慧忠
675年 - 775年
諡号 大証国師
生地 越州諸曁
宗派 禅宗
寺院 南陽白崖山香厳寺
慧能
弟子 耽源

南陽慧忠(なんよう えちゅう、675年(上元2年) - 775年(大暦10年))は、中国唐代中期の僧。禅宗の六祖慧能の直弟子である。

生涯[編集]

慧能のもとで悟りを得た後、40年の間隠棲した。その後、皇帝粛宗の招請により都に上り、宮廷において教えを授けた。死後、皇帝は国師号を贈った。

「碧巖録」第18則[編集]

碧巌録』の第18則は、慧忠と粛宗との問答である。粛宗は「師の100年を記念するために何ができるか」と問うた。これに対し慧忠は、「無縫塔を建ててほしい」という答えを返した。粛宗は「それはどのようなものか」と問うた。慧忠はしばし沈黙し、「お分かりか」と答えた。粛宗は「わからぬ」と答えた。この問答は、粛宗が慧忠の弟子である耽源に聞かせたもので、粛宗は本当にわからなかったのではなく、耽源に謎かけをしているのである、とされる。

參看[編集]


師:慧能 禅宗 弟子:耽源