北遼(ほくりょう、1123年)は、遼の亡命政権。首都の場所は不明。
1123年5月8日、南京(燕京)にいた遼の大臣たちは再び「北遼」を建国し、天祚帝の次男の梁王耶律雅里(耶律定の同母兄)を北遼の皇帝として、遼から自立した。だが、10月に耶律雅里は病没した。そのため、蕭徳烈らは今度は天錫帝の従弟の耶律朮烈[1]を擁立させた。しかし、11月に金軍に包囲され、耶律朮烈は内訌によって家臣たちに弑された。こうして、北遼は滅亡を迎えることになった。
北遼の歴代君主[編集]
- 梁王 耶律雅里
- 耶律朮烈
北遼の年号[編集]
- 神暦(1123年 : 5月 - 11月)
- ^ 陳邦瞻著『宋史紀事本末』によると、興宗の孫と記されている。
参考文献[編集]