北方心泉

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北方 心泉(きたがた しんせん、嘉永3年4月28日1850年6月8日) - 明治38年(1905年7月29日)は真宗大谷派僧侶書家としても知られる。心泉は、俗名は(きざし)。

人物[編集]

嘉永3年(1850年)4月28日、加賀国の金沢(現・石川県金沢市)の常福寺の住職の子として生まれる。明治元年(1868年)、常福寺14世住職となる。

明治10年(1877年)、東本願寺支那布教事務掛となり、留学生を引率して上海に赴く。清に滞在中に胡鉄梅ら清の文人と交流し、また金石文などの古代の文字を見ることで、書に影響を受ける。書の門弟に篆刻家桑名鉄城が育った。

明治32年(1899年)、再度渡清し、南京に金陵東文学堂を設立するが、義和団の乱により帰国。延べ15年を大陸で過ごした。その後、法句寺を建立する。

明治35年(1902年)、東本願寺の改革運動に加わったことにより、住職を罷免され僧籍からも除名される(のちに除名処分は取り消される)。

関連項目[編集]