劉長卿
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劉 長卿(りゅう ちょうけい、景龍3年(709年)- 貞元元年(785年)[1])は、中国・唐代中期の詩人。字は文房。宣州の出身。本貫は河間郡楽成県。
略歴
[編集]玄宗皇帝の天宝年間(742年 - 756年)の前後に生存したと思われる。開元21年(733年)に進士となる。至徳元載(756年)に監察御史となり、ついで転運使判官になった。この後、讒言する者があり姑蘇の獄につながれたが、許されて睦州の司馬として左遷され、随州の刺史で終わった。性剛直で権勢家に逆らうことが多かったという。詩文に長じ、権徳輿に「五言の長城」と称せられた。龍門八詠は古詩の傑作とされ、『唐詩選』には平蕃曲などを収める。劉長卿集10巻がある。
詩
[編集]| 過鄭山人所居 | |
| 寂寂孤鶯啼杏園 | 寂々として孤鶯、杏園に啼き |
| 寥寥一犬吠桃源 | 寥々たる一犬、桃源に吠ゆ |
| 落華芳草無尋處 | 落華芳草、尋ぬる処無し |
| 萬壑千峯獨閉門 | 万壑千峯(ばんがくせんぽう)ひとり門を閉ざす |
| 逢雪宿芙蓉山 | |
| 日暮蒼山遠 | 日暮れて蒼山遠し |
| 天寒白屋貧 | 天寒くして白屋貧なり |
| 柴門聞犬吠 | 柴門で犬吠ゆるを聞く |
| 風雪夜歸人 | 風雪夜帰の人 |
| 送張扈司直帰越中 | |
| 時危身赴敵 | 時危ければ身は敵に赴く |
| 事往任浮沈 | 事さりて浮沈に任す |
| 萬里三江去 | 万里三江に去る |
| 當時百戦心 | 当時百戦の心 |
| 春風呉渚緑 | 春風呉渚の緑にして |
| 古木剡山深 | 古木に剡山(せんざん)深し |
| 明日滄洲路 | 明日の滄洲の路は |
| 孤舟不可尋 | 孤舟尋ぬべからず |
脚注
[編集]- ↑ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『「劉長卿」の意味・わかりやすい解説』コトバンク。2025年11月10日閲覧。