信寿院
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信寿院(しんじゅいん、? - 寛永5年7月8日(1628年8月7日))は、徳川家康の側室。名は富子。父は山田氏とされるが、出自はほとんど不明である。
山田氏の娘で俗名は山田富子、法号が「信寿院」であること以外は詳細が不明である[1]。
寛永5年7月8日(1628年8月7日)に没する。戒名は信寿院日富神尼。墓所は東京都大田区の池上本門寺にあり、墓碑銘には「東照權現逑遇」と記される。逑とは「つれあい、夫婦、配偶」などを意味する言葉である[1]。
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