佐川績

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佐川 績
さがわ いさお
生誕 1887年12月11日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1939年
最終階級 陸軍航空兵大佐
除隊後 満洲航空株式会社日本支店代表者、常務理事
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佐川 績(さがわ いさお、1887年明治20年)12月11日 - 没年月日不明)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍航空兵大佐

経歴[編集]

1907年(明治40年)5月31日に陸軍中央幼年学校本科を卒業[1]1909年(明治42年)5月27日に陸軍士官学校(21期)を卒業し、同年12月25日に工兵少尉に任官、近衛工兵大隊付となる[2]1912年(大正元年)11月26日に陸軍砲工学校(18期)高等科を卒業し[3]1913年(大正2年)2月3日に工兵中尉に昇進[4]、同年6月13日、気球隊付に補される[5]。その後、航空大隊付、交通兵団指令部付、陸軍兵器本廠等を経て、1920年(大正9年)4月9日に工兵大尉に昇進し[6]、同年12月1日に陸軍航空学校教官に補される[7]

翌年の1921年4月1日に、開設されたばかりの陸軍航空学校下志津分校での服務を命ぜられ[8]1923年(大正12年)9月1日に発生した関東地震直後にアメリカフェアチャイルド社英語版製航空写真機によって東京全市の空中写真撮影を行った(日本における初の広域表面撮影)。1924年(大正13年)5月17日に下志津陸軍飛行学校教官に補され[9]1925年(大正14年)5月1日付けで航空兵大尉に転じ、陸軍航空本部部員に補される[10]

1926年(大正15年)2月26日、日本写真学会の前身である東京寫眞學會の創立総会に参集[11]。同年3月2日に航空兵少佐[12]1932年(昭和7年)8月8日に航空兵中佐[13]昇進後、1934年(昭和9年)12月10日に所沢陸軍飛行学校教官に補される[14]

1936年(昭和11年)12月1日に航空兵大佐に昇進[15]後、1939年(昭和14年)8月31日予備役を仰せつけられ[16]、同年9月1日に満洲航空株式会社日本支店代表者に就任[17]し、その後常務理事となる。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7175号、明治40年6月1日。
  2. ^ 『官報』第7954号、明治42年12月27日。
  3. ^ 『官報』第101号、大正元年11月30日。
  4. ^ 『官報』第153号、大正2年2月4日。
  5. ^ 『官報』第262号、大正2年6月14日。
  6. ^ 『官報』第2304号、大正9年4月10日。
  7. ^ 『官報』第2501号、大正10年12月2日。
  8. ^ 『官報』第2598号、大正10年4月2日。
  9. ^ 『官報』第3519号、大正13年5月19日。
  10. ^ 『官報』第3806号、大正14年5月2日。
  11. ^ 鎌田, 彌壽治 (1953). “日本写眞文化史 (I)”. 日本写真学会会誌 16 (2): 35–38. doi:10.11454/photogrst1934.16.35. 
  12. ^ 『官報』第4054号、大正15年3月3日。
  13. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  14. ^ 『官報』第2384号、昭和9年12月11日。
  15. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  16. ^ 『官報』第3799号、昭和14年9月2日。
  17. ^ 『官報』第3861号、昭和14年11月17日。
  18. ^ 『官報』第7998号、明治43年2月23日。
  19. ^ 『官報』第216号、大正2年4月22日。
  20. ^ 『官報』第1127号附録、大正5年5月6日。
  21. ^ 『官報』第2348号、大正9年6月1日。
  22. ^ 『官報』第2699号、大正10年6月24日。
  23. ^ 『官報』第3934号、大正14年10月3日。
  24. ^ 『官報』第280号、昭和2年12月3日。
  25. ^ 『官報』第1151号、昭和5年10月29日。
  26. ^ 『官報』第2822号附録、昭和11年6月1日。
  27. ^ 『官報』第2603号附録、昭和10年9月4日。
  28. ^ 『官報』第2607号、昭和10年9月9日。
  29. ^ 『官報』第3827号、昭和14年10月5日。

関連項目[編集]