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佐久間信義 (彦次郎)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐久間信義
時代 江戸時代後期
生誕 宝暦7年(1757年
死没 不明
改名 義永→信義
別名 通称:卯之吉、彦次郎
幕府 江戸幕府旗本
主君 家治家斉
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間信忠、母:間宮氏の娘
養父:佐久間盛雄
兄弟 男子、信義
養兄弟:佐久間盛雄
齋藤平右衛門常政の娘
継室:太田十郎左衛門和猛の娘
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佐久間 信義(さくま のぶよし)は、江戸時代後期の旗本。初めは義永(よしなが)と名乗った。

明和7年(1770年)4月22日、14歳で義父・佐久間盛雄から家督(蔵米250俵)を相続。

天明8年(1788年)12月23日、初めて将軍徳川家斉に謁見。

寛政重修諸家譜』編纂時の当主。寛政11年(1799年)時点での役職は小普請。屋敷は北本所南割下水。