伊丹勝政
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永3年(1626年) |
死没 | 元禄4年7月15日(1691年8月8日) |
改名 | 五左衛門(幼名)→勝政 |
戒名 | 涼安院殿円誉心月覚仙大居士 |
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 |
官位 | 従五位下、大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 甲斐徳美藩主 |
氏族 | 伊丹氏 |
父母 | 父:伊丹勝長 |
兄弟 | 勝政、丸毛利忠、勝元、大村純長、勝久 |
妻 | 正室:喜多見重勝の娘(喜多見勝忠の養女) |
子 |
勝守、娘(藤掛永次正室) 養子:勝久 |
生涯
[編集]寛永3年(1626年)、第2代藩主・伊丹勝長の長男として生まれる。寛文2年(1662年)に父が暗殺されたため家督を継ぎ、12月に従五位下・大隅守に叙位・任官する。寛文3年(1663年)には甲斐の黒川金山の支配を任され、寛文4年(1664年)10月には近江水口城の守備を担当した。
勝政は40歳を過ぎても男子に恵まれなかったため、はじめ弟の勝久を養子にしていたが、48歳のときに長男の勝守が生まれたため、勝久を廃して勝守を世子としている。元禄4年(1691年)7月15日に死去した。享年66。跡を勝守が継いだ。