任皇后

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任皇后(じんこうごう、生没年不詳)は、成漢の初代皇帝李雄の皇后。弟は成漢の僕射任顔天水郡の出身。

生涯[編集]

304年、李雄が成漢を興すと、王后に立てられた。

任夫人には子がおらず、李雄は妾との間に子を15人設けていた。長男の李越・次男の李覇・四男の李期は任夫人が養育し、他にも李保といった子を育てた。

315年1月、皇后に立てられた。

334年9月、李期が即位すると、尊んで皇太后に立てられた。

338年大将軍李寿が決起して成都を制圧すると、任皇太后の命だと偽って李期を廃して邛都県公に落とし、別宮に幽閉した。

9月、弟の任顔は李寿誅殺を掲げて反乱を起こしたが、失敗して誅殺された。李寿は連座により李雄の諸子を尽く誅殺した。任夫人もまた憂憤の内に亡くなったという。

伝記資料[編集]