仙台市交通局モハ200形電車

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仙台市交通局モハ200形電車
基本情報
運用者 仙台市交通局
製造所 ナニワ工機日本車輌製造
製造年 1954年 - 1957年
製造数 11両(201 - 211)
改造年 1968年(ワンマン改造)
廃車 1976年
投入先 仙台市電
主要諸元
編成 ボギー車(単車)
軌間 1,067mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 88人(着席32人)
車両重量 13.5 t
全長 11,900 mm
全幅 2,220 mm
全高 4,040 mm
車体高 3,105 mm
床面高さ 780 mm
車体 全金属製
台車 住友金属 FS63
車輪径 660 mm
固定軸距 1,400 mm
台車中心間距離 5,400 mm
主電動機出力 38.0 kw
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 4.50(63:14)
出力 76.0 kw
定格速度 22.7 km/h
制御方式 直接制御、直並列組合せ制御
制動装置 空気ブレーキ発電ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3]に基づく。
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仙台市交通局モハ200形電車(せんだいしこうつうきょくモハ200がたでんしゃ)は、かつて仙台市仙台市交通局)が運営していた路面電車仙台市電で使用されていた電車である[1][2][3]

概要[編集]

仙台市電初のボギー車であったモハ80形(→モハ100形)に続いて導入された車両。車体はモハ100形を含めた従来の車両と比べて軽量化を念頭に置いた設計がなされており、前面は湘南型とも呼ばれる左右対称の2枚窓が設置されていた他、床面の素材にはリノリウムが採用された。また台車は防振ゴムを挟んだ弾性車輪が使われ、騒音や振動の抑制が図られた。乗降扉は車体両側面に2箇所存在し、製造当初から中央・左側に設置されていた[1][2][4][5]

3次に渡って製造されており、車体や集電装置などに以下のような差異が存在した[1][2]

  • 201 - 205 - 1954年製、ナニワ工機製。集電装置にはビューゲルが用いられたが、後にZパンタに換装された。前面窓は1段で、外方向に開閉が可能だった[1][2]
  • 206 - 208 - 1955年製、ナニワ工機製。集電装置は菱形パンタグラフ[1][2]
  • 209 - 211 - 1957年製、日本車輌製造製。集電装置はZパンタで、前面窓の形状も2段窓に変更された[1][2]

運用[編集]

1954年から1957年にかけて計11両が導入され、モハ70形を始めとする多くの2軸車を置き換えた。最初の車両となった201 - 205は営業運転開始前に花電車を先頭にした顔見世運転を実施し、仙台市民に新型電車登場を大きくアピールした。その後は前述の通り一部車両の集電装置が変更された他、1968年には合理化のためモハ100形と共にワンマン運転への対応工事が実施され、前面窓の大きさが左右非対称となった[注釈 1]。以降は1976年3月31日の仙台市電廃止まで使用され、その後も210が保存対象車両として長町車庫跡に保管されたが、1991年に開設された仙台市電保存館の対象車両には選ばれておらず、他都市の路面電車への譲渡も行われなかったため、2020年の時点で現存車両は存在しない[1][5][6][7][8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 運転台がある向かって右側の固定窓が大きく、左側の小窓は上下昇降式であった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 宮松丈夫 2007, p. 29-31.
  2. ^ a b c d e f g 亀谷英輝 1966, p. 35.
  3. ^ a b 朝日新聞社「日本の路面電車諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、170-171頁。doi:10.11501/2456138 
  4. ^ 宮松丈夫 2007, p. 22-23.
  5. ^ a b 柏木璋一 1976, p. 81.
  6. ^ 柏木璋一 1976, p. 82.
  7. ^ 宮松丈夫 1976, p. 85.
  8. ^ 仙台市電保存館”. 仙台市交通局. 2020年5月10日閲覧。

参考資料[編集]

  • 宮松丈夫『仙台市電』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 90〉、2007年2月1日。ISBN 978-4-7770-5193-9 
  • 亀谷英輝「仙台市電の現況と当面の課題」『鉄道ファン』第6巻第5号、交友社、1966年5月1日、32-35頁。 
  • 柏木璋一「仙台市電ものがたり」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、78-82頁。 
  • 宮松丈夫「仙台市電思い出アルバム」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、83-86頁。