京都市立四条中学校
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(京都市立四条商業学校から転送)
京都市立四条中学校 | |
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北緯35度00分09秒 東経135度43分30秒 / 北緯35.00245度 東経135.72487度座標: 北緯35度00分09秒 東経135度43分30秒 / 北緯35.00245度 東経135.72487度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C126210000295 |
所在地 | 〒615-0065 |
京都府京都市右京区西院日照町1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都市立四条中学校(きょうとしりつ しじょうちゅうがっこう)は、京都府京都市右京区にある公立中学校。なお、前身の京都市立四条商業学校(きょうとしりつ しじょうしょうぎょうかっこう)についても解説する。
沿革
[編集]京都府立簡易商業学校
[編集]京都市立簡易商業学校
[編集]京都市立商業実修学校
[編集]京都市立四条商業学校
[編集]京都市立四条航空工業学校
[編集]- 1944年(昭和19年) - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により航空工業学校に転換[2]。
- 1945年(昭和20年) - 尼崎市の住友金属工業プロペラ製造工場の疎開先となる[2]。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により在校生の卒業をもって廃校となる[1][3]。
京都市立四条中学校
[編集]- 1947年(昭和22年) - 四条商業学校に併設する形で開校。
- 1948年(昭和23年) - 京都市立太秦中学校[注釈 2]を統合。
- 1975年(昭和50年) - 梅津分校を設置。
- 1976年(昭和51年) - 梅津分校が京都市立梅津中学校として独立。
- 1980年(昭和55年) - 西京極分校を設置。
- 1981年(昭和56年) - 西京極分校が京都市立西京極中学校として独立。
主な卒業生
[編集]- 冨士野鞍馬 - 川柳家、実業家(京都市立商業実修学校卒業)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 跡地は富小路殿公園として整備され、2010年(平成22年)には公園の東半分が御所南小学校第二運動場となり、富小路通側に京都市立商業実修学校跡の石碑が立つ。
- ^ 同名で1977年開校の京都市立太秦中学校とは異なる。
出典
[編集]- ^ a b c d e f “NA110 京都市立商業実修学校跡”. www2.city.kyoto.lg.jp. 2024年1月8日閲覧。
- ^ a b 『京都府産業教育七十周年記念誌』,京都府産業教育七十周年記念会,1959. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9543624 (参照 2024-01-08)
- ^ “学校の沿革|京都市立四条中学校”. cms.edu.city.kyoto.jp. 2024年1月8日閲覧。