井上元通

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井上元通
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 寛永19年12月21日1643年2月9日
改名 井上鶴法(幼名)→井上元通
別名 通称:弥四郎→彦右衛門尉
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 清和源氏頼季流井上氏支流安芸井上氏
父母 父:井上元方
就勝
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井上 元通(いのうえ もとみち)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士毛利氏家臣長州藩士。知行は100石。父は井上元方

生涯[編集]

毛利氏家臣である井上元方の子として生まれる。

慶長5年(1600年4月23日毛利輝元福原広俊に宛てた書状において、父・元方の家督と所領については元通が相続することを認めるが、元通が幼少の間は代役が公役を勤めるようにと述べているため、この頃に父が死去し家督を相続したとされる。

慶長9年(1604年6月20日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられる。また、慶長17年(1612年2月1日には毛利秀就から「彦右衛門尉」の官途名を与えられた。

寛永19年(1642年12月21日に死去。元通の家督と100石の知行地は、寛永20年(1643年3月27日に元通の嫡男である就勝が相続することを秀就から認められた。

なお、子孫には明治元勲である井上馨がいる。

脚注[編集]

参考文献[編集]