久寺家城

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久寺家城
千葉県
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 我孫子氏?
廃城年 不明
遺構 腰曲輪
指定文化財 未指定
位置 北緯35度52分51.38秒
東経140度01分06.39秒
地図
久寺家城の位置(千葉県内)
久寺家城
久寺家城

久寺家城(くじけじょう)は、下総国(現在の千葉県我孫子市久寺家)にあった日本の城である。同城についての記録は全くなく、詳細は不明である。

概要[編集]

現在、城跡は宅地化が進み、遺構はほとんど残っていない。ただし、一部は明王山寳蔵寺の寺領になっており、その南西の林の中に腰曲輪状の平坦地が残っている[1]

構造[編集]

利根川南岸の湿地帯に入る久寺家谷津に面している標高20mの台地上にあり、長方形の形を成している。この台地は南東を除いた三方が低地に接し、南東はつくし野川が流れる。この川は城の北側にある谷津と合わさり、水田地帯の水路を通り、利根川に出ている。中世には常陸川が台地の下まで伸びていたと考えられている[2]

歴史[編集]

久寺家城について記した資料は全くないため、誰がいつ築城したのか、またいつ廃城になったのか、全くわからない。ただし南側に250mほどの場所に位置する我孫子城高城氏家臣である我孫子氏の居城であったと言われており[注 1]、あるいはその支城ではないか、という説がある[4][注 2]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 高城氏一族の通称には「彦」が入ることが多く、我孫子氏にも同様に彦の字が使われていたことから同族という説もある[3]
  2. ^ ただし城の規模は久寺家城の方が大きいため、本支城関係は不明である。

出典[編集]

  1. ^ 千野原靖方 2004, p. 244.
  2. ^ 千野原靖方 2004, p. 243、244.
  3. ^ 千野原靖方 2004, p. 246.
  4. ^ 千野原靖方 2004, p. 244、245.

参考文献[編集]

  • 『東葛の中世城郭』千野原靖方、崙書房、2004年2月20日、初版。ISBN 4-8455-1101-0NCID BA66529054

関連項目[編集]

外部リンク[編集]