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丸山金治

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丸山 金治(まるやま きんじ、1915年10月26日 - 1948年2月16日)は、日本小説家編集者兵庫県出身。

来歴

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神戸市葺合区熊内町生まれ。駒澤大学中退。明治大学文芸科に入り、里見弴の指導を受ける。中山義秀の紹介により創元社に入社。のち改造社に転職。結核を患い、1943年頃から悪化。病床で執筆を行った。没後、1949年に短編小説集「四人の踊リ子」が刊行された[1][2]

  • 父親の厳命により駒澤大学に入学したが、文学志望が止まらず1年で退学。明治大学文芸科に入り直す。
  • 妹と朋輩であった宝塚歌劇の踊り子と結婚し、そこから「四人の踊り子」を書いた[3]
  • 作風は繊細で清潔であると言われる[4]
  • 肺結核が1943年頃から悪化。過労と不養生のため命を落とす。

著作

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出典

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  1. ^ コトバンク. “「丸山金治」日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」2004年刊”. 2021年5月7日閲覧。
  2. ^ 丸山金治 1949.
  3. ^ bookmeter. “高橋輝次『ぼくの創元社覚書』亀鳴社 2013(p40)”. 2021年5月7日閲覧。
  4. ^ 原武哲「志賀直哉・武者小路実篤・里見弴書簡の紹介 : 野田宇太郎文学資料館所蔵書簡翻刻(10)」『福岡女学院大学紀要. 人間関係学部編』第5巻、福岡女学院大学、2004年3月、a1-a8、CRID 1050845762532925312hdl:11470/352ISSN 1347-3743 

外部リンク

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