中華人民共和国の喫煙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
中華人民共和国の喫煙者

中華人民共和国喫煙(ちゅうかじんみんきょうわこくのきつえん)について説明する。

中国のたばこの歴史[編集]

たばこは中国の代の末(嘉靖万暦年間)にフィリピンから移入された。当時、中国人は「たばこは体にいい、風邪発熱などの病気を治せる」と思い、そして、全国の喫煙人数は急速に増加した。しかし、代からは次第に「たばこは体に悪い」とする観点が現れた。医師の張璐は、自著『本経逢源』の中で以下のように記した。

豈知毒草之氣,熏灼臟腑,游行経絡,能無壯火散氣之慮乎

この間、各王朝の皇帝は禁煙に関する法律と詔書などを頒布した。この中、明末の崇禎帝は二度に禁煙の命令を与えた[1]。彼の理由は以下のようなものであった。「自分は燕王永楽帝の子孫であり、国の首都も燕都(当時北京は燕都とも称した)である。もし国内に喫煙のことがあれば、この「煙」の読みは「燕」と同じであるから、「喫煙」は「喫燕」に通じるため、避諱として禁煙せよ」

王朝が清に交代すると、第4代の康熙帝および第5代の雍正帝はたばこを禁止した。ただし、西欧列強の進出と内乱により清王朝が衰退した時期(道光咸豊年間以降)には禁煙令は実際に無効となった。

1911年−1949年の中華民国が統治した時代に禁煙の気風はもう一度現れた。1930年代、蒋介石と夫人の宋美齢は積極的に禁煙運動を推進した。1935年5月、蒋介石は「新生活運動綱要」を発表し、「鴉片屏絶,紙烟勿吃」という条例を要求した。しかし、この運動によって、政府の税収は不足となった。結果、1935年6月15日、財政部長の孔祥熙は国家の税収を確保するため、下記の公文を発表した。

任何团体,如有假借新生活運動名義,禁止人民吸售紙烟,務応立予糾正,以維国税而安商業

このあと、民国内の喫煙は絶えた[2]

中華人民共和国成立以降の喫煙[編集]

中華人民共和国の創立者毛沢東は本来、喫煙者である。毛以後の多くの国家領導者(特に鄧小平)は喫煙者。だから国内で多い人は「喫煙は悪くない」と考え、そして喫煙率は大きくなった。2015年に行った世界保健機関の調査によって、中国の喫煙率は25.3%であった[3]

鄧は、1986年にアメリカの記者マイク・ウォレス(Mike Wallace)とのインタビューの中で二人ともに室内で喫煙した[4]。この理由によって、大勢の中国公民と官僚は「室内で喫煙もいい」と思い、デパート、工作場所、公共交通機関などのところでたばこを吸う。ある時室内で灰皿を設置されなかったら、直接に吸い殻を地の上に捨てる可能性もある。特にレストランで食事をする時、「禁煙」のマークがあっても多くの人も喫煙する。時々レストランとショップの係員も禁煙と提示しており、そして喫煙者はレストランの外またはトイレに行き、たばこを吸う。このあとレストランとトイレの中でたばこの匂いが深くなる。

室外喫煙の時、喫煙者は学校、政府機関の外、街の中などの様々なところで喫煙し、吸い殻を勝手に捨てり、都市のごみと環境の問題を引いる。また政府は走行中の喫煙を禁止しない。多くの人は歩く時に喫煙し、そして他人は受動喫煙を受ける。

男性と女性の喫煙率の分別[編集]

国別男性喫煙率。中華人民共和国のは65%〜75%。
国別女性喫煙率。中華人民共和国のは10%以下。

中国の農村部では古代の伝統的な観念の影響を受けて、女性がたばこを吸うことは不良的と思われがちである。しかし、都市部では最近、外国の気風(特にフェミニズム)の深い影響を受け、女性の喫煙もだんだん現れるようになった。現在中国では男性喫煙率67%、女性喫煙率4%である[要出典]

禁煙規制[編集]

参考文献・脚注[編集]