中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合

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中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(ちゅうぜつきんしほうに はんたいし ピルかいきんを ようきゅうする じょせいかいほう れんごう)とは、1970年代前半に活動した戦闘的な日本のウーマンリブ団体である。中ピ連の略称で知られた。代表は元薬事評論家の榎美沙子新左翼のものを模した、♀印のついたピンク色ヘルメットと過激な活動内容でマスメディアを賑わせ、当時の社会現象となった。

沿革[編集]

1972年昭和47年)6月14日結成。当時日本では、経口避妊薬(ピル)薬事法で規制され、厚生省医療用医薬品に認められていなかったので、これを女性への抑圧と解釈することにより、ピルの販売自由化要求運動を展開した。

1974年(昭和49年)には、有志で下部組織「女を泣き寝入りさせない会」を結成、妻に訴えられた夫の職場や、女性を蔑視しているとみなされた団体の本部など、集団で押しかけ、吊るし上げを行う事で恐れられ、一躍有名になった。このスタイルには、部落解放同盟などの確認・糾弾の影響が見て取れる。

当時の人気番組だった『夜明けの刑事』の第43話は、そのものズバリの『ハイ、こちら中ピ連です!!』というタイトルで、中ピ連に絡んだストーリーで実在の同団体を紹介する(榎本人も出演)など、その特異な存在と過激な活動は、当時の社会現象にもなった。

1973年(昭和48年)10月23日には、突如日本家族計画連盟主催の討論会「産児制限を考える」に乱入し、「ピルを解禁せよ」とシュプレヒコールを挙げたほか、1975年(昭和50年)4月5日には、京都市内で開催されていた日本産婦人科学会総会に押しかけ、ピル解禁を日本国政府に勧告するよう要求するなどしている。

このほか、人工妊娠中絶の制限を主張し、国会優生保護法改正を提案していた自由民主党参議院議員玉置和郎と当時その秘書だった村上正邦(後に自民党参議院議員、賄賂で逮捕)に対し「優生保護法改悪反対運動」等と称し、街頭で玉置・村上を四方八方から取り囲んで、もみくちゃにしたり、玉置・村上の自宅や、参議院議員会館に押しかけたりした[1]

しかし、当時のピルは副作用が大きく、それ自体が女性の体に負担や悪影響を与えることが多かったため、かつ性病の蔓延を助長するという理由から、日本ではそもそもあまり普及しなかった。このため、活動内容の根幹が下火になり、1975年(昭和50年)に解散した。

榎はその後中ピ連を母体とし、中ピ連の活動精神を継承する形で『日本女性党』を結党。「内閣はすべて女性とする」「公務員はすべて女性とし、男性は臨時職員かアルバイトとする」など、両性の平等や、後の男女共同参画の理念を超えた過激な政策を掲げた。これはレスビアン・セパレーティズム(レズビアン分離主義。女性だけの共同体社会をつくることを目指す)や、女尊男卑または男性差別的なイデオロギーとも通底していた。[独自研究?]

そして1977年(昭和52年)6月の第11回参議院選挙で、地方区全国区に10名の候補者を擁立して確認団体として国政の場への進出を図った。しかし榎自身は立候補せず、それでいて連日派手な応援活動を行うなど、その態度には疑問点が多かった[独自研究?]。結果は全候補者が落選、それも全員が有効投票総数に対して一定の得票数に達せず、供託金没収になるという惨敗だった。日本女性党はその日のうちに内部分裂を起こして崩壊、2日後に解党している。

参考文献[編集]

  • 「榎美沙子と中ピ連」(秋山洋子『リブ私史ノート 女たちの時代から』所収 インパクト出版会、1993年1月、ISBN 4755400309
  • 『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(村上正邦/述・魚住昭/著) 2007年10月 講談社 ISBN 9784062143332

脚注[編集]

  1. ^ 玉置・村上の支持団体である宗教法人生長の家妊娠中絶に反対している。

関連項目[編集]