中村竹蔵

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中村 竹蔵(なかむら たけぞう、明治2年3月25日[1]1869年5月6日) - 1945年昭和20年)2月2日[2][3])は、日本検事

経歴[編集]

東京府出身。1892年(明治26年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる[1]。東京区裁判所判事函館地方裁判所判事、函館控訴院検事、東京地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事、東京控訴院検事、函館地方裁判所検事正を歴任した[1]1907年(明治40年)、統監府判事に転じ、京城地方裁判所長となり、さらに朝鮮総督府検事となり、京城控訴院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1920年(大正9年)に高等法院検事長に就任した[4]

1945年昭和20年)2月2日東京都世田谷区の自宅で死去、75歳[5]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 人事興信録 1918, pp. な之部(中) な四八-四九.
  2. ^ 「中村竹蔵氏(前朝鮮高等法院検事長)」『朝日新聞』、1945年2月4日、2面。
  3. ^ 「中村竹蔵氏(前朝鮮高等法院検事長)」『読売新聞』、1945年2月5日、2面。
  4. ^ a b 人事興信録 1928, p. ナ之部 中(村) ナ九一.
  5. ^ 中村竹蔵氏」『京城日報』京城日報社、1945年2月5日、2面。2024年3月28日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。