中村友武

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中村 友武(なかむら ともたけ、1931年 - 2008年) は、東京都出身のバレエダンサー・振付師、バレエ教師。

略歴[編集]

1931年、東京生まれ。1948年、17歳でジェーン・バーローに師事する。

1953年、ミヤ・スラヴァンスカ、フレデリック・フランクリン・バレエ団の来日公演に特別出演し、M・スラヴェンスカのパートナーを勤める。またこの年アレクサンドラ・ダニロワに師事し、F・フランクリンからは女性のパートナーを手を使わずに足だけでサポートしたり、片手だけで抱えるテクニックを学んだ[1]

その後、松山バレエ団にてダンサーとして活躍しながら、 『ピーターと狼』 [2]等の振付を手がける。またコレット・マルシャン・ミスコビッチバレエ団で、マイケル・ランド、C・マルシャンと 『ミラクルス・マンダリン』 を踊った。1958年ニューヨーク・シティ・バレエ団A・ミッチェルにジャズダンスを習い、A・エグレフスキーにクラシックを学ぶ。また発足して間もない日本バレエ協会の運営委員となった[3]

1961年から1983年までNHK教育テレビ番組おかあさんといっしょの振付を担当し、『ブーフーウー』 『うたのえほん』 『とんちんこぼうず』 『とんでけブッチー』 『ミューミューニャーニャー』 などを手がけた[4]

1979年、中村友武バレエ研究所を設立。2008年骨髄異形成症候群により死去した。

参考文献[編集]

  • Bronfeld, S. (1954). Ballet in Japan. Dance Magazine, 28(Sep), 38-54.
  • Gastineau, J., & Schatz, H. (1998). Standing tall. Dance Magazine, 72(Sep), 64-69.
  • Yoshida, Yukihiko,“Jane Barlow and Witaly Osins, ballet teachers who worked in postwar Japan, and their students, Pan-Asian Journal of Sports & Physical Education, Vol.3(Sep), 2012.

脚注[編集]

  1. ^ 1954年、米国のDance Magazineに日本のバレエが紹介されたとき、松山バレエ団の創始者、松山樹子を足だけでサポートしている写真が1ページ全面に掲載された。
  2. ^ 日本洋舞史年表 I (1900-1959)” (PDF). 新国立劇場. 2013年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月11日閲覧。
  3. ^ 日本バレエ協会の歩み <1> 設立から1969年まで”. 日本バレエ協会. 2008年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月11日閲覧。
  4. ^ NHK教育「おかあさんといっしょ」の歴史[リンク切れ]

外部リンク[編集]