下田勘次

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下田 勘次
しもだ かんじ
生年月日 1875年
出生地 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見
(現鳥取市河原町
没年月日 1939年
出身校 鳥取一中
(現鳥取西高
所属政党 憲政会
配偶者 妻・下田その

在任期間 1920年 -
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下田 勘次(しもだ かんじ、明治8年(1875年)11月4日[1] - 昭和14年(1939年))は、日本政治家実業家。元衆議院議員。元大正鳥取銀行監査役[2]。元鳥取新報社長[3]鳥取県平民[4]

元鳥取大学長下田光造、元参議院議員田中信義の兄。

経歴[編集]

鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町)出身。下田弥平の長男[5]

鳥取一中(現鳥取西高)に学び、また漢籍林良造に学んだ[5]

明治37年(1904年)村会議員、明治40年(1907年)に郡会議員、明治44年(1911年)県会議員となり、引き続き大正9年(1920年)まで3期当選した[5]。この間佐貫村長も務めた[5]

大正9年(1920年)5月、原内閣のときの衆議院議員総選挙では、憲政会に推されて鳥取県第2区から立候補して当選した[5]

家族・親族[編集]

下田家[編集]

鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町))
  • 父・彌平[3]
嘉永5年9月生[3] - 没
光造[3]
信義(政治家田中嘉十郎の養子[3]
はるえ(田中文平長男督臣に嫁す[3]
すゞ農業、政治家中谷龜治長男明治に嫁す[3]
  • 妻・その(鳥取、田中文平二女[3]
明治14年(1881年)9月生[3] - 没
明治42年(1909年)11月生[3] - 没

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、24頁。
  2. ^ 『因幡人事興信録』大正12年、(し)之部九四三
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録. 第8版』(昭和3年)シ八四
  4. ^ 『人事興信録. 7版』(大正14年)し八七
  5. ^ a b c d e 『鳥取県大百科事典』(編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会)1984年 412頁

外部リンク[編集]