ヴェルィーキ・ソローチンツィ

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ヴェルィーキ・ソローチンツィ
Великі Сорочинці
ソローチンツィの市の広場
ソローチンツィの市の広場
ヴェルィーキ・ソローチンツィの市旗 ヴェルィーキ・ソローチンツィの市章
市旗 市章
座標 : 北緯50度1分56秒 東経33度57分30秒 / 北緯50.03222度 東経33.95833度 / 50.03222; 33.95833
行政
 ウクライナ
 行政区画 ポルタヴァ州
ヴェルィーキ・ソローチンツィ
地理
面積  
  市域 34 km2
人口
人口 (2001年現在)
  市域 4,050人
その他
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 07400
市外局番 +380 5355
ナンバープレート CE

ヴェルィーキ・ソローチンツィウクライナ語: Вели́кі Соро́чинці;意訳: 「大ソローチンツィ」)は、ウクライナポルタヴァ州ムィールホロド地区に位置するである。

概要[編集]

中世にはクラスノピーリКраснопіль;意訳: 「美野」)と呼ばれた。1620年代からソローチンツィ町(Сорочинці;意訳: 「四十僧村」)として知られるようになる。

1648年まではヤレーマ・ヴィシュネヴェーツィクィイ公の領土に属していたが、フメリニツキーの乱によりコサック国家へ編入された。以後、当国のムィールホロド連隊の百人隊の中央町となった。

18世紀末にヘーチマン国家がロシア帝国に併合されると、1791年ポルタヴァ県ムィールホロド郡ソローチンツィ郷の中央町にかわった。

1900年の時点で、ソローチンツィにおいて1,514戸が存在し、8,882人が住んでいた。また、7つの学校が設置され、1年に5回ほどの大きな市(いち)が立てられた。

20世紀前半にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の農村となり、ヴェルィーキ・ソローチンツィに改名された。1925年から1931年までの間は、この地で銃殺されたウクライナの政治家イェウヘーン・ネロノーヴィチウクライナ語版に因んでネロノーヴィチНероновичі)と呼ばれた。

1991年にウクライナがソ連から独立すると、ポルタヴァ州ムィールホロド地区に編入された。

人口[編集]

  • 4,050人(2001年)

文化財[編集]

  • 救世主顕栄教会(1732年)
  • ホホーリ記念館
  • ソローチンツィの市(いち): 1966年以降、毎年8月に、ホホーリの作品で詠われたソローチンツィの市を記念に大きな伝統的なバザーが行われている。

ゆかりの人物[編集]

外部リンク[編集]