ロバート・ダグラス (初代ベルヘイヴン子爵)

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初代ベルヘイヴン子爵ロバート・ダグラス英語: Robert Douglas, 1st Viscount of Belhaven PC1573年ごろ – 1639年1月14日 エディンバラ)は、スコットランド王国貴族廷臣

生涯[編集]

マルコム・ダグラス(Malcolm Douglas)の三男として生まれた[1]

ウェールズ公ヘンリー・フレデリックページ・オブ・オナー英語版、ついで主馬頭を務め、1609年2月7日にホワイトホール騎士爵に叙された[1]。1612年にウェールズ公が死去すると、スコットランド王ジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1世)により寝室侍従英語版に任命され、1622年8月5日に宣誓してスコットランド枢密院英語版の枢密顧問官に就任した[1]

チャールズ1世の治世では1631年6月9日に枢密顧問官を再任、1633年6月24日にスコットランド貴族であるハディントンシャーにおけるベルヘイヴン子爵に叙された[1]

1639年1月14日にエディンバラで死去、ホリールード寺院に埋葬された[1]。爵位は廃絶した。死後、甥アーチボルドとロバートによりホリールード寺院で記念碑を立てられた[1]

家族[編集]

1611年5月にニコラス・マリ(Nicolas Moray、ロバート・マリの長女)と結婚したが、ニコラスは1612年11月の出産後に死去、生まれた子も死亡した[1]

ウォーリー氏(Miss Whalley)との間で庶子を2人もうけており、ダグラスは1631年7月30日に2人を認知した[1]

  • ジョン(1631年7月30日以降没)
  • スザンナ(1618年ごろ – ?) - 1636年2月2日、ロバート・ダグラス(Robert Douglas、1602年ごろ – ?)と結婚、子供あり[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 36–37.
スコットランドの爵位
爵位創設 ベルヘイヴン子爵
1633年 – 1639年
廃絶