レオンス・コーエン
レオンス・コーエン Léonce Cohen | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 |
1829年2月12日 フランス王国 パリ |
死没 |
1901年2月26日(72歳没) フランス共和国 パリ |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家 |
レオンス・コーエン(Léonce Cohen 1829年2月12日 - 1901年2月26日[注 1])は、フランスの作曲家。
生涯
[編集]コーエンはパリでアルザスの商人の一家に生まれた。父はパリのボンディ通りに陶器店を引き継いでおり、後には12区に所在するロートシルト病院の初代病院長になった人物である。母のメルリーヌ・ヴェイユ(1805年-1875年)はベン=レヴィとして知られる作家のゴジョー・ヴェイユ(Godcheaux Weil)のきょうだい、アドルフ・クレミューの従兄妹で、さらにアンリ・ベルクソンとマルセル・プルーストから見ると大叔母にあたる。
13歳からパリ音楽院で学び始め、ヴァイオリンを専攻した。またフランソワ・ブノワのオルガンの講座を受講し、エメ・ルボルネに作曲の指導を仰いだ。コーエンは1852年にカミーユ・サン=サーンスを破って、カンタータ『Le Retour du Virginie』(Bailly du Rolletのリブレット)でローマ賞を受賞している。
学生時代にコーエンはパリのイタリア座のヴァイオリニストを務めた。ローマ滞在後には荘厳ミサを作曲し、ジャック・アレヴィに称賛された。1855年にパリへ戻ると、イタリア座に加えてヴォードヴィル座へもヴァイオリニストとして参加した。1875年以降はパリ音楽院管弦楽団のヴァイオリニストを務めた。
1858年にはオペレッタ『Mam'zelle Jeanne』がブフ・パリジャン座で初演を迎え、1866年には『Bettina』が続いた。1862年には『École du musicien, ou solfège théorique et pratique, avec accompagnement de piano』(音楽教室、または理論的・実践的ソルフェージュ、ピアノ伴奏つき)を上梓、作品はアンブロワーズ・トマに捧げられた。
パリにて没。
参考文献
[編集]- François-Joseph Fétis: Biographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musique. 2. Auflage. Supplément et Complément, 1. Band, hrsg. von Arthur Pougin. Firmin-Didot, Paris 1878, S. 191 (Textarchiv – Internet Archive).
- Hugo Riemann: Musik-Lexikon. 5. Auflage. Hesse, Leipzig 1900, S. 208 (Textarchiv – Internet Archive).
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ Frederick T. Haneman: Cohen, Léonce. In: Isidore Singer (Hrsg.): Jewish Encyclopedia. Band 4, Funk and Wagnalls, New York 1901–1906, S. 151.
- ^ John H. Baron: A Golden Age for Jewish Musicians in Paris: 1820–1865. In: Musica Judaica 14 (1999), S. 131–152, hier S. 151; nealbrostoff.com (PDF; 2,9 MB).