ルヨ・アダモヴィチュ

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ルヨ・アダモヴィチュ(Lujo Adamović、1864年7月31日 - 1935年7月19日)は現在のクロアチアロヴィニ生まれの植物学者である。

略歴[編集]

当時、オーストリア=ハンガリー帝国の領地であったロヴィニに生まれ、ドゥブロヴニクで育った。ウィーン大学アントン・ヨーゼフ・ケルナーのもとで学び、ベルリン大学アドルフ・エングラーのもとで学んだ。ザイェチャルや、ピロトなどセルビア王国の王立高校で教師を務め、1901年から1905年の間、ベオグラード植物園の園長を務めた。その後、ウィーンやイタリアでも働き、ウィーンでは植物地理学の講義を行った。ダルマチアヘルツェゴビナセルビアモンテネグロの植物相について多くの著作を行った。

バルカン半島の植物の研究者としてはヨシフ・パンチッチ(Josif Pančić:1814-1888)の後をついで、貴重な研究者となった。植物地理学の分野でバルカン地方に特徴的な植生の形態である「Šibljak」などの用語を確立した。

エングラーとオスカル・ドルーデが編集した著作"Plantae balcanicae exsiccatae"のバルカン諸国の章を執筆した。

著作[編集]

  • Die Pflanzenwelt Dalmatiens. W. Klinkhardt, Leipzig 1911 doi:10.5962/bhl.title.9966
  • Građa za floru kraljevine Crne Gore (= Rad Jugoslavenska Akademija Nauke i Umetnosti. Band 195). Zagreb 1913.
  • Führer durch die Natur der nördlichen Adria. Mit besonderer Berücksichtigung von Abbazia. Hartleben, Wien/ Leipzig 1915.
  • Die Pflanzenwelt der Adrialänder. 1929.
  • Italien. 1930.
  • Die pflanzengeographische Stellung und Gliederung Italiens. 1933.

参考文献[編集]