ラインバウト・ダウレンガ
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ラインバウト・ダウレンガ(古プロヴァンス語:Rainbout d'Aurenga, 1147年 - 1173年)またはランボー・ドランジュ(フランス語:Raimbaut d'Orange)は、神聖ローマ帝国のアルル王国において、オランジュとオームラの領主であり、著名なトルバドゥールであった。その領地には、フロンティニャンとミルヴァルが含まれていた。
ランボーはギレム・ドームラと、オランジュ伯ランボーの娘であるオランジュ女伯ティブルジュの一人息子であった。父が早世した後、ランボーの後見人は叔父のモンペリエ領主ギヨーム7世と姉のティブルジュであった。
ランボーは、トルバドゥール詩におけるトロバール・リック(trobar ric、明瞭な詩文体)の創造に貢献した。作品は約40点が現存し、韻を踏んだ複雑な構成をしている。
1173年のランボーの死は、ジロー・ド・ボルネルのプラン(哀歌)と、ランボーの従兄弟ギラウト・デ・ボルネーユの愛人でもあった女性トルバドゥールのアザライス・ド・ポルカイラーグの唯一現存する詩の中で悼まれている。アザライスの詩は、ランボーがまだ存命中に、より初期の形で作られていた可能性がある。
参考文献
[編集]- Pattison, Walter T. The Life and Works of the Troubadour Raimbaut d'Orange. Minneapolis: University of Minnesota Press, 1952. LCCN 52-5321.
- Sakari, A. "Azalais de Porcairagues, le 'Joglar' de Raimbaut d'Orange" in Neuphilologische Mitteilungen, vol. 50 (1949) pp. 23–43, 56-87, 174-198.