ユリウス・フォン・エーレン

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ユリウス・フォン・エーレン
Julius von Ehren
Ehren-Selfportrait.jpg
『自画像』(1900)
生誕 1864年8月23日
ドイツの旗 ドイツ, ハンブルク=アルトナ
死没 1944年11月8日
ドイツの旗 ドイツ, ハンブルク
運動・動向 ドイツ印象派

ユリウス・フォン・エーレン(Julius von Ehren、1864年8月23日 - 1944年11月8日)はドイツの画家である。

略歴[編集]

現在はハンブルク市の一部であるハンブルク=アルトナで生まれた。17世紀からエルベ川で漁師をしてきた家系で、父親は帆作りの職人であった[1]。奨学金を得て、1886年からワイマールの美術学校でレオポルト・フォン・カルクロイトに学んだ。一緒に学んだ画家にはモールブッター(Alfred Mohrbutter)やヘックナー(Rudolf Höckner)がいた。1891年からミュンヘン美術院に移った。1893年からハンブルクで画家として活動した。ニーダーエルベ(Niederelbe)地域で修行し、ハンブルクの画家、トーマス・ヘルプストと農民の生活などを描いた。室内画を描くことも多かったが、村の風景や人物画も描いた。鴨を描いた絵も好まれた。1897年にハンブルク芸術家クラブ(Hamburgischer Künstlerklub)の創立メンバーとなった。ハンブルク芸術家協会(Hamburger Künstlerverein von 1832)やドイツ画家協会(Deutscher Künstlerbund)の会員でもあった[2]

コペンハーゲンや、ハンブルク美術館館長アルフレート・リヒトヴァルクやハンブルクの画家たちとパリも訪れた。1899年にドレスデンで開かれたドイツ美術展(Deutschen Kunstausstellung)で金賞を受賞した。1901年に「ベルリン分離派」のメンバーになった。1910年頃から、展覧会への出展が少なくなり、絵も売れなくなった。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Percy E. Schramm, Ascan W. Lutteroth: Verzeichnis gedruckter Quellen zur Geschichte Hamburgischer Familien. Herausgegeben von der Zentralstelle für Niedersächsische Familiengeschichte E.V. Sitz Hamburg 1921, S. 25
  2. ^ kuenstlerbund.de: Ordentliche Mitglieder des Deutschen Künstlerbundes seit der Gründung 1903 / Ehren, Julius von (Memento des Originals vom 4. März 2016 im Internet Archive) i Info: Der Archivlink wurde automatisch eingesetzt und noch nicht geprüft. Bitte prüfe Original- und Archivlink gemäß Anleitung und entferne dann diesen Hinweis. (abgerufen am 22. November 2015)

参考文献[編集]

  • Carsten Meyer-Tönnesmann: Der Hamburgische Künstlerclub von 1897. Christians-Verlag, Hamburg 1985, Seiten 47–49. ISBN 3-7672-0919-5.
  • Hamburger Ansichten – Maler sehen die Stadt. Hamburger Kunsthalle, Wienand Verlag, S. 185.
  • Percy E. Schramm, Ascan W. Luthteroth: Verzeichnis gedruckter Quellen zur Geschichte Hamburger Familien, Herausgegeben von der Zentralstelle für Niedersächsische Familiengeschichte E.V. Sitz Hamburg 1921.