ユリア・マエサ

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サイダのコイン。裏にはアスタルトが描かれている。

ユリア・マエサラテン語: Julia Maesa, 165年5月7日 - 224年8月3日)は、古代ローマの人物[1]。ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの妃ユリア・ドムナ(170年 - 217年)の姉。孫にはヘリオガバルスアレクサンデル・セウェルスがいる。これら孫を皇位につけ、それを操る形で権勢を振るった。

生涯[編集]

エル・ガバルの神官ユリウス・バッシアヌスの娘として生まれた。ユリウス・アウィトゥスと結婚し、以下の2女を儲けた。

218年に、娘ユリア・ソアエミアスの愛人ガンニュスにより14歳の孫ヘリオガバルスが皇帝位に即けられると、ユリア・ソアエミアスとともに権力を握った。ヘリオガバルスが222年に暗殺されると、前年にヘリオガバルスの養子となっていたもう一人の孫アレクサンデル・セウェルスが皇帝とされ、引き続きユリア・マエサはアレクサンデル・セウェルスの母ユリア・ママエアとともに実権を握った。224年にユリア・マエサは死去し、その後はユリア・ママエアが単独で政治を行った。

脚注[編集]

  1. ^ Shahid, Irfan (1984). Rome and The Arabs: A Prolegomenon to the Study of Byzantium and the Arabs

参考文献[編集]

  • 青柳正規 監修 『ローマ皇帝歴代誌』 創元社、1998年