マネー・マーケット・ファンド

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マネー・マーケット・ファンド(Money Market Fund、MMF)とは、公社債を中心に投資するミューチュアル・ファンドの一種。

概要[編集]

政府発行の短期証券などに投資して、元本の安全を確保しながら安定した利回りを得られるような運用を行う。即日の購入・解約が可能となっている。慢性インフレ下1971年銀行預金証券会社に呼び寄せるべく、アメリカ合衆国のブルース・ベント、ハリー・ブラウンの2人が「リザーブ・ファンド」を設立した。従来、公社債などの債券は購入単位が大きく、小口の個人投資家には手が出せない商品であったが、このような投資信託が生まれたことでそれらへの間接投資が可能になった。

1973年オイルショックインフレーションが進み、銀行預金の実質的価値が一層目減りした。1974年2月、ドレフュス商会(1994年にメロン・フィナンシャルと合併)のハワード・スタインノーロードのMMF(Dreyfus Liquid Asset Fund)を開発した。ハワードの出身はBache & Co.(現ワコビア)であるが、1967年出版のOur Crowd にも登場する金融機関である。年内に7億ドルを売上げ、全米の投信会社が模倣するようになった。こうしたMMFは銀行預金よりも利回りが良かったが、MMFで集めた資金は大口の譲渡性預金を購入しやすい金利のメガバンクへ向かった。ポール・ボルカーはその開発力を称えつつ、しかし銀行を淘汰する性質に対して斬新なら良いわけではないと苦言を呈した。ノーロード化に躊躇するフィデリティ・インベストメンツなどは、CMA(Cash Management Account、証券総合口座)を設定しMMF運用資金を株式購入に充てられるようにしたり、当座預金として使えるよう小切手を振り出せるようにしたりした。業界の動向は1970年代に起こったMMFへの大量資金流入の要因となった。

銀行側ではこの動きに応じ、1980年代に政治的圧力で預金利率を撤廃、MMC(市場金利連動型預金)を設定し対抗した。

なお、日本におけるマネー・マネージメント・ファンド(Money Management Fund)もMMFと略されるが、実際にはこれよりもマネー・リザーブ・ファンド(Money Reserve Fund、通称:MRF)の方が近いといえる。

外貨MMF[編集]

日本において「外貨MMF」・「外貨建てMMF」として販売されている商品の「MMF」とは、この「マネー・マーケット・ファンド」を指す。日本国外で設定された外国投資信託の扱いとなっている。USドルユーロAUドルCAドルNZドルUKポンドといった、先進国を中心に複数の通貨建てのものがあるが、近年は南アフリカランドトルコリラといった、新興国の通貨建てのものも取り扱われている。

日本におけるいくらかの証券会社・銀行で取り扱われており、外貨預金と比べて利率や為替手数料の面で概ね有利になっている。また、外貨預金は満期の定めがあり、途中解約に制約のあるものが多いが、外貨MMFの場合は基本的にいつでも解約可能であること、毎月一定額の積立が(ドル・コスト平均法)可能であること、という利点がある。ただし外貨を直接引き出す事は出来ない。証券会社によっては、外貨MMFにおいた資金で直接(日本から見た)外国籍債券・外国籍投資信託を購入し、その売却資金や利金も外貨MMFに振り込める制度や、銀行の外貨預金などへ外貨のまま(無料ないしは有料で)送金できる制度を設けているところもある。

額面割れ[編集]

マネー・マーケット・ファンドは基準価額を安定して1ドルに保つことを目指す。大変稀なことだが、基準価額が1ドルを下回った場合、そのファンドは「額面割れ」(break the buck)したといわれる。

1994年、The Community Bankers US Government Fundが額面割れし、額面1ドル当たり96セントを投資家に返還した。これはマネー・マーケット・ファンドの23年間の歴史で初のことである。このファンドは資産の相当割合を変動金利債券に投資していたが、金利が上昇するにつれて、これらの債券の価値が低下したため額面割れが生じたのである。このファンドは機関投資家向けに設定されていたため、個人投資家は直接影響を受けなかった。

2008年9月16日リーマンブラザーズ証券の破綻を受け、米国最古のMMFであるリザーブ・プライマリー・ファンドが額面割れし、価格は額面1ドル当たり97セントとなった。 上記事態を受け、米国の多くのMMFには投資家からの大量の解約が殺到し、結果パトナム・インベストメンツのMMFが大量の解約を理由に閉鎖されるなど混乱が生じている。