マキシム・ボネ
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マキシム・ジュール・セザール・ボネ(Maxime Jules Cesar Bonnet、1878年3月28日 - 1959年3月19日)は、フランスの神父、パリ外国宣教会に所属していた。来日し、長崎・鹿児島・宮崎・嘉渡・宝亀・太刀洗・飯塚・新田原にて布教。
生涯
[編集]1878年(明治11年)、フランス北東部ブザンソンに生まれる。郷里の小神学校を経て、パリ外国宣教会の大神学校へ進学。1903年(明治36年)司祭に挙げられる。同年9月14日、長崎に上陸。同年10月より鹿児島教会付きの神父となる。1904年(明治37年)5月、宮崎教会付きとなる。1905年(明治38年)6月、龍郷町の嘉渡教会主任に就任。第一次世界大戦開戦により帰国。終戦ののち、再度日本に戻り、1923年(大正12年)9月、平戸市の宝亀教会主任、1928年(昭和3年)12月、大刀洗町の大刀洗教会主任、1940年(昭和15年)10月、飯塚市の飯塚教会主任、1945年(昭和20年)10月、行橋市の新田原教会主任を歴任。1953年(昭和28年)8月、宣教会本部付きとなる。1956年(昭和31年)10月、新田原病院入院。1959年(昭和34年)帰天。新田原教会墓地に埋葬される。[1][2]