ポール・ヘンリード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Paul Henreid
ポール・ヘンリード
ポール・ヘンリード
1940年代に撮影された宣伝写真
生年月日 (1905-01-10) 1905年1月10日
没年月日 (1992-03-29) 1992年3月29日(87歳没)
出生地 Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国トリエステ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニアサンタモニカ
職業 俳優、映画監督
活動期間 1933年 - 1977年
情熱の航路(1942年)の予告編より

ポール・ヘンリード (Paul Henreid1905年1月10日 - 1992年3月29日) はオーストリアの俳優、映画監督。誕生時のドイツ語名は、パウル・ゲオルク・ユリウス・ヘアンリート・リッター・フォン・ヴァッセル=ヴァルディンガウ(Paul Georg Julius Hernried Ritter Von Wassel-Waldingau)。

若年期[編集]

1905年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったトリエステ(現イタリア領)に、ウィーンの貴族で銀行家の家庭に生まれた。ウィーンの劇場で学び、マックス・ラインハルトの下で劇場デビューした。1930年代には、ドイツ映画で映画デビューしたが、1935年イギリスに渡った。第二次世界大戦の勃発に伴い、敵国人として国外追放や抑留の危険にさらされたが、コンラート・ファイトの尽力により、イギリスに抑留されず残ることを許可された。[1] 1939年、『チップス先生さようなら』で端役を演じ、その後ハリウッド渡航を許された。

経歴[編集]

1942年、ヘンリードは彼にとって最も重要になる2つの映画に出演した。『情熱の航路』では、彼とベティ・デイヴィスは、男が2つのタバコに火を付け、ひとつを女に手渡すという、映画の中で最も模倣されたシーンのひとつを演じた。ハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマンと共に出演した『カサブランカ』では、英雄的な反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じた。

1946年、ヘンリードはアメリカ合衆国市民権を得た。[2]

ヘンリードは、1940年代を通じて定期的に映画に出演し、1950年代初頭に映画とテレビの監督を始めた。彼の映画出演作品には、『The Spanish Main』 (1945)、『Of Human Bondage』 (1946)、『愛の調べ』 (1947)、『Thief of Damascus』 (1952)、『Siren of Bagdad』 (1953)、『黙示録の四騎士』 (1961)などがある。彼のテレビ監督作品には、『Alfred Hitchcock Presents』、『Maverick』、『Bonanza』、『The Big Valley』などがある。1964年、ヘンリードはベティ・デイヴィスが主演した『誰が私を殺したか?』を監督した。この映画でヘンリードの娘のモニカが端役を演じた。

死去[編集]

1992年、ヘンリードはカリフォルニアのサンタモニカで肺炎で亡くなり、ウッドローン墓地に埋葬された。彼は、有名になる前の1937年に、Mildred Jacobsという人物から受け取ったファンレターとともに埋葬された。彼は生前、その手紙は、自分が受賞したどんな賞よりも大切だと言っていた。

ヘンリードはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2つの星を獲得している。ひとつ目(映画)はハリウッド大通り6366に、二つ目(テレビ)はヴァイン通り1722にある。

作品[編集]

俳優として[編集]

監督として[編集]

  • For Men Only (1952)
  • A Woman's Devotion (1956)
  • Live Fast, Die Young (1958)
  • Girls on the Loose (1958)
  • 誰が私を殺したか? Dead Ringer (1964)
  • 星空 Ballad in Blue (1964)

注釈[編集]

外部リンク[編集]