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ポレッスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポレッスク

Полесск
ラビアウ城の廃墟(2011年)
ラビアウ城の廃墟(2011年)
ポレッスクの公式印章
印章
ポレッスクの位置(カリーニングラード州内)
ポレッスク
ポレッスク
ポレッスクの位置(ヨーロッパロシア内)
ポレッスク
ポレッスク
ポレッスクの位置(ヨーロッパ内)
ポレッスク
ポレッスク
座標:北緯54度51分 東経21度6分 / 北緯54.850度 東経21.100度 / 54.850; 21.100座標: 北緯54度51分 東経21度6分 / 北緯54.850度 東経21.100度 / 54.850; 21.100
ロシアの旗 ロシア
連邦管区 北西連邦管区
連邦構成主体 カリーニングラード州の旗 カリーニングラード州
初出 13世紀
標高
3 m
人口
(2021年)[1]
 • 合計 6,926人
等時帯 UTC+2 (MSK−1)
郵便番号
238630
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ポレッスクロシア語: Поле́сск, ラテン文字転写: Polessk)は、ロシア西部飛び地のカリーニングラード州中部にある町。人口は6,926人(2021年)[1]

1945年以前はドイツ東プロイセンに属し、ドイツ語ラビアウLabiau, リトアニア語: Labguva, ポーランド語: Labiawa)といい、ドイツ騎士団の城が建っていた。

ポレッスクはポレッスク地区の中心で、北にはクルシュー潟(クロニア・ラグーン)が広がり、デイマ川(プレゴリャ川からグヴァルジェイスクで分かれクルシュー潟に注ぐ分流)が注いでいる。州都カリーニングラードの北東46 kmの位置にあり、カリーニングラードからソヴィェツク(旧ティルジット)へ向かう道や鉄道がデイマ川を渡る地点にある。デイマ川の河口から東のクルシュー潟南岸一帯には、大湿地帯が広がり野生生物の楽園となっており、かつてプロイセン王国が開拓のために作らせた用水路が残る。

歴史

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ラビアウ城(1915年)

ドイツ騎士団が1258年に城を築いて以降の町の名の変遷は、以下のとおりである。

プロシア語で「labs」は「良い」を、「moter」は湿地を意味していた。またリトアニア語名の「labguvyna」は「癒す石」となる。

ドイツ騎士団古プロシア人が住んでいたサンビア半島英語版(ザムラント)を征服し、1258年から1259年にかけてラビアウ城を築いた。この城は、クルシュー潟を越えて攻めてくる敵からケーニヒスベルクを守る意味合いもあった。1277年に城が炎上すると、石造で再建され、リトアニアに対する防衛と攻撃の拠点となった。濠に囲まれた城は難攻不落で、1550年からはプロイセン公アルブレヒトの再婚した妻アンナ・マリアがラビアウ城に住んだ。1642年には「大選帝侯」フリードリヒ・ヴィルヘルムがラビアウの町に都市権を与えた。

19世紀末にはラビアウはこの地方の行政中心地で、蒸気動力で動く醸造所や製材所、魚市場やその他の市場が立っており、住民のほとんどはプロテスタントだった。

1945年独ソ戦末期にラビアウは赤軍に占領された。東プロイセン北部はソ連領となり、ドイツ人住民は追放され、1946年には地名も「ポレッスク」に改められた。

脚注

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  1. ^ a b city population”. 2023年5月6日閲覧。

外部リンク

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