ポリネシアン (競走馬)

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ポリネシアン
欧字表記 Polynesian
品種 サラブレッド
性別
毛色 青鹿毛
生誕 1942年
死没 1959年
Unbreakable
Black Polly
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Elmendorf Farm
馬主 Gertrude T. Widener
調教師 Morris Dixon
競走成績
生涯成績 58戦27勝
獲得賞金 310,410ドル
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ポリネシアン (Polynesian) は、1940年代アメリカ合衆国競走馬、および種牡馬1945年プリークネスステークス優勝馬であり、ネイティヴダンサーの父としても知られている。

経歴[編集]

1944年4月25日ピムリコ競馬場でデビューしたが、デビュー間もなく窒素尿症(スクミ)を患い、激痛により調教どころか体を動かすことすらできなくなった。調教師も手をこまねく状態がしばらく続いたあるとき、ポリネシアンがスズメバチの群れに襲われ、体を刺されてしまった。しかし、この事故の直後ポリネシアンの体調はなぜか好転し、8月には競馬場に復帰して初勝利を挙げるに至った。2歳時はこのほかに、サガモアステークスや一般戦などで4勝している。

3歳シーズンは5月から始動、ケンタッキーダービーを回避して、アメリカ三冠競走のなかで最短距離のプリークネスステークスを大一番に選んだ。ウィザーズステークスに勝って臨んだ本番で、ポリネシアンはケンタッキーダービー馬フープジュニアに2馬身半差をつけて優勝、クラシックホースの仲間入りを果たした。なお、フープジュニアはこの競走で屈腱炎を発症し、引退している。

この年以降、ポリネシアンはアームドスタイミーギャロレットアソールトなどといった強豪古馬と何度も対決を繰り返していった。3歳時はプリークネスステークス以降これといった勝鞍がなかったが、翌年にはトボガンハンデキャップなど8勝、5歳時には3回のレコードタイム更新を含む9勝を挙げ、その年のアメリカ最優秀短距離馬に選出された。

引退後[編集]

1948年から種牡馬となった。種牡馬入り3年目のシーズンとなる1950年、この年生まれた産駒のなかの一頭に、のちの名競走馬にして大種牡馬ネイティヴダンサーがいた。同馬から始まるネイティヴダンサー系は全世界において主流血統の一つとなり、ポリネシアンの血統は現在も世界中で息づいている。

ネイティヴダンサーの存在が顕著であるが、このほかにも以下のような活躍馬を出している。

ほか、1958年生のアウトリガーが種牡馬として日本に輸入されている。ブルードメアサイアーとしての代表馬には、日本にも輸入されたケンタッキーダービー馬シャトーゲイ(母Banquet Bell)がいる。

1959年、ポリネシアンは牧場で疝痛を発症し、それが元で17歳の生涯を閉じた。遺骸はレキシントンのギャラハーファームに埋葬されている。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

1944年(2歳) 10戦5勝
1945年(3歳) 14戦5勝
プリークネスステークス、ウィザーズステークス
1946年(4歳) 20戦8勝
ローズベンステークス、トボガンハンデキャップ
1947年(5歳) 14戦9勝
ロングブランチステークス、カムデンハンデキャップ、オーシャンポートステークス

年度代表馬[編集]

  • 1947年 - アメリカ最優秀短距離馬

血統表[編集]

ポリネシアン血統ファラリス系 / Polymelus 3x4=18.75%、 Sundridge 母内4x5=9.38%、 St. Simon 5x5=6.25%、 Sainfoin 父内5x5=6.25%) (血統表の出典)

Unbreakable
1935 黒鹿毛 アメリカ
父の父
Sickle
1924 青鹿毛 イギリス
Phalaris Polymelus
Bromus
Selene Chaucer
Serenissima
父の母
Blue Glass
1917 青鹿毛 フランス
Prince Palatine Persimmon
Lady Lightfoot
Hour Glass Rock Sand
Hautesse

Black Polly
1936 鹿毛 アメリカ
Polymelian
1914 栗毛 イギリス
Polymelus Cyllene
Maid Marian
Pasquita Sundridge
Pasquil
母の母
Black Queen
1930 青毛 アメリカ
Pompey Sun Briar
Cleopatra
Black Maria Black Toney
Bird Loose F-No.14-a


外部リンク[編集]