ホージャ・ムハンマド・ヤフヤー

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ホージャ・ムハンマド・ヤフヤー(Khoja Muhammad Yahya、生年不明 - 1694年)は、今の中国西北部新疆ウイグル自治区南部カシュガル白山党中国語版ホージャ

概要[編集]

ホージャ・アファークの長男[1]。1694年初めにアファークが死亡すると[1]、その跡を継いでカシュガルの支配者になった[2]。アファークの後妻だったハヌム(ムハンマド・アミーンの妹)は自分の子供のマフディー(ヤフヤーの異母弟)をアファークの跡継ぎにしようとして、ヤフヤーとの間でヤルカンドをめぐる抗争が起こった。10月、ヤフヤーはハヌムの手の者によって暗殺され、ヤフヤーの一族も子供のアフマドを除いて皆殺しにされた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 澤田稔 2018, p. 11.
  2. ^ 澤田稔 2018, p. 15.
  3. ^ 澤田稔 2018, pp. 11, 15.

参考文献[編集]

  • 澤田稔「歴史書としての聖者伝─16~18世紀カシュガル・ホージャ家の伝記『タズキラ・イ・ホージャガーン』」(PDF)『日本中央アジア学会報』第14号、日本中央アジア学会、2018年7月31日、1-22頁、ISSN 1880-00762022年3月23日閲覧