ペドロ・ロペス

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ペドロ・アロンソ・ロペス
Pedro Alonso López
ペドロ・ロペス(1987年4月23日)
個人情報
別名 「アンデスの怪物」
生誕 1948年10月8日
 コロンビア トリマ県サンタ・イサベル
死没 消息不明
有罪判決 殺人罪、3度の有罪判決を受けている[1]
判決 禁錮16年(1998年に保釈、そのまま消息不明)
殺人詳細
犠牲者数 少なくとも53体の遺体が発見されている。ロペス自身は「300人以上を殺した」と告白している
犯行期間 1969年
 コロンビア
エクアドルの旗 エクアドル
ペルーの旗 ペルー
逮捕日 1980年3月9日
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ペドロ・アロンソ・ロペススペイン語: Pedro Alonso López1948年10月8日[2] - )は、コロンビア生まれの連続殺人者。コロンビア、エクアドルペルーにて、9~12歳の少女110人を殺害した容疑で有罪判決を受けている。ロペス自身は、ペルーとエクアドルにて、さらに240人を殺したと主張している。

ロペスの犯罪は、フリーランスジャーナリストであるロン・レイトナー(Ron Laytner)が敢行した、独房内にいるロペスへのインタビューならびにAP通信が伝えた報道により、世界的な注目を集めることとなった[1]。ロジャー・ボアー(Roger Boar)とナイジェル・ブランドウ(Nigel Blundell)による1990年の著書『The World's Most Infamous Murders』(『世界で最も凶悪な殺人犯たち』)にロペスが掲載され[3]、のちにインターネットやさまざまな著書にもロペスの名が登場することになった。

レイトナーによる記録が伝えられた1980年代以降、ロペスは「アンデスの怪物」(El Monstruo de Los Andes)と呼ばれ、恐れられるようになる[4]。また、ギネスブックは、ロペスを「個人で最も多くの人間を殺した殺人者」と認定した[5]が、のちに「殺人を競争の題材にするのか」との苦情を受けて、この項目は削除されるに至った[6]

1998年、コロンビアにある精神病院から釈放されて以来、消息を絶つ。

生い立ち[編集]

トリマ県サンタ・イザベルにて、13兄弟の7番目の子として生まれた[2]。父ミダールド・レイエスはコロンビア保守党員、母ベニルダ・ロペス・デ・カスタニェーダは売春婦であった。ロペスが生まれる6か月前の1948年4月4日、父ミダールドは、ボゴタ暴動で銃弾を受けて死んだ。父親の不在と、母親による行き過ぎた干渉により、ペドロは不遇な少年時代を過ごした。家はカーテンで仕切られているだけの単一の建物であり、ペドロは母親と複数の「客」とのやり取りを幾度も耳にし、目撃していたが、これがペドロの心に不穏な影響を与えたと見られている。なお、母ベニルダによれば、ペドロは礼儀正しい少年であり、教師になりたがっていたという[2]。本人はのちに「母親から虐待された」と語っている[2]

1957年、8歳のとき、妹の1人に対して性的な行為に及ぼうとしていた(のちのインタビューでは「妹の胸に手を触れていた」という[4])ところを母に見つかり、ペドロは家から追い出される[7]も、帰る道を見つけた[4]。のちのロン・レイトナーによるインタビューでは「おふくろは今度は200マイル離れたところに連れて行き、改めて俺を捨てた」という。その後、ある男に声をかけられ、その男に廃屋に連れて行かれ、そこで繰り返し肛門性交を強要されたという[4]

ペドロはボゴタストリートチルドレンとなり、残飯を漁りながら暮らし、のちにギャングに加わった。コカインを常用し、荒んだ生活を送った[2]

本人によれば、10歳のとき、あるアメリカ人の夫婦の計らいでペドロは孤児院に入るが、12歳のときに職員の1人から性的暴行を受け、そこから逃げ出したという[2]

その後、自動車を盗んでは転売するという形で生計を立てていたが、1969年、21歳のとき、自動車窃盗の容疑で逮捕され、懲役7年の刑で刑務所に収監される。ロペスによれば、そこで少なくとも2人の囚人から輪姦されたという[7]。ロペスはその報復として、ナイフを作り、自分を強姦した囚人を殺害した[2]。のちにこれは「正当防衛」と判断され、刑期を2年追加されるだけに留まった。

殺人[編集]

ロペスは、「Perdí mi inocencia a la edad de ocho años, así que decidí hacer lo mismo a tantas muchachas jóvenes como pudiera.」(「俺の純潔は8歳で奪われた。できるだけ多くの少女に対して、自分が味わったのと同じ苦しみを味わわせてやる」)と誓うようになったという[8][9]

刑務所での刑期を終えたのち、ロペスは、ペルーにて少女たちを殺し始める。ロペスによれば、ペルー全土にて、少なくとも100人以上の少女を殺したという。その際には、「無邪気な表情をしている少女」を探して日中に声をかけたという[8][4]。ロペスはエクアドル警察に対して「エクアドル人の女の子がお気に入りなんだ。無邪気で、優しく、信用できる。人を疑うってことを知らない。彼女らは、コロンビア人の少女とは違う」と語っている[10]。コロンビア、エクアドル、ペルーを移動し、おもに市場を狩場にし、9~12歳の少女たちに声をかけ、何か奇麗な、光り輝くものを与える約束をして誘い出し、郊外の森やホテルの一室で絞殺し、その死体は建築現場や森の奥深くに埋めた。週に2人、ときには3人殺したという。ロン・レイトナーによるインタビューでは、ロペスは以下のように語っている[4]

  • 「夜には殺さない。辺りが暗いせいで、相手の目が見えないからね」
  • 「親と一緒にいる娘の場合、1人になる瞬間を待って、声をかけたんだ。観光にやって来た、金髪の美しい少女にも声をかけようとしたが、それは叶わなかった。その娘たちの両親がとても用心深くてね」
  • 「夜には殺さない。辺りが暗いせいで、相手の目が見えないからね」

ロペスによれば、犠牲者が死ぬまでに「5~15分はかかった」という[4]

  • 「俺は女の子たちを情けをもって殺したよ。彼女らが死んでいるかどうかを確認するために、長時間一緒にいたんだ。まだ息があるかどうか、鏡を使って確認したよ」[4]

血液がまだ流れているかどうかを確かめるために少女らの手首や喉を切り裂いた。少女らが死なずにいた場合、ロペスは改めて止めを刺した。

  • 「女の子がまだ生きていた場合は、改めて殺した。女の子たちは悲鳴を上げはしなかった。純真無垢だったよ」[4]

ロペスは殺人の感覚についても語り、マタドールが死に直面する際の「決定的瞬間」を刮目するために闘牛を見に来る観客たちと自分自身とを比較している[4]。ロペスは犠牲者に対して、子供を愛する親のようにその腕に抱いて警戒心を解き、そのあとに強姦し、その目をじっくりと眺めながら絞め殺した。ロペスは以下のように語っている[4]

  • 「女の子たちの喉元に手をやっているとき、実に素晴らしい、神々しい瞬間が到来するんだ」
  • 「彼女らの目を覗き込むと、その目の中の表情の輝きが消える瞬間が見えるのが分かるのさ」
  • 「彼女らの命尽きる瞬間は、心を奪われるし、興奮を味わえる。人を殺した経験のある人間なら、俺の言っていることが分かるだろう」
  • 「いつの日にか俺が解放されたら、この感覚をまた味わってやる。殺しを再開できるのはとても嬉しいよ。それこそが俺の使命だからな」

少女ばかりを殺した理由については、「鶏肉を食べるようなもんさ。若鶏があるのに、なんでわざわざ古くなった鶏を食べるんだ?」と語っている[4]

ロペスによれば、ある日、9歳の少女を攫おうとした際、それを目撃したペルーの中南部に住んでいた部族「アヤクチャノス」(Ayacuchanos)に捕らえられた。部族の族長はロペスの体を縛り、身体に糖蜜をかけて虫に食べさせようとした。そのとき、アメリカ人の女性の宣教師が乗った車が通りかかり、「彼を警察に引き渡すべきだ」と族長を説得した。族長はそれを受け入れ、ロペスは彼女が乗っていたジープの後ろに縛り付けられた状態でそこから去っていった。しかし、彼女はコロンビアの国境付近でロペスを降ろして解放したという。ロペスは「俺は彼女は殺さなかった。年を取り過ぎていて、魅力が薄れていたんでね」と語っている[4]。その後、行方不明の少女の数は増加した。

1979年、エクアドルのアンバート洪水が襲った。このときに発生した鉄砲水で、行方不明となっていた少女4人の遺体が川岸に打ち上げられた。洪水から数日後のある日、アンバートにあるスーパーマーケットで、ロペスは12歳の少女マリアを攫おうとするも、一緒にいた母親カルヴィーナ・ポヴェダが気付き、助けを求めた。すぐに助けが入り、警察が駆け付けるまでロペスは取り押さえられていた。

ロペスは、最初は警察からの尋問に対して黙秘を貫いていた。警察は、監房内にいるロペスに対し、コルドバ・グディーノ司祭に面談させることで司祭への信頼を獲得し、罪を自白させようとした。ロペスは司祭に対し、そのおぞましい行為の数々を語った。逮捕されるまでに犯した300件を超える殺人を自供し、司祭はロペスの口から語られた情報を警察に提供した。警察は当初、ロペスの自供を信じてはいなかった。現場検証の際、ロペスは自分が死体を埋めた場所を警察に案内した。ロペスの自供により、少なくとも53体の遺体が発見され、警察はロペスの自供を信じるようになった。この53体の遺体が発見されてから、「アンデスの怪物」の異名で呼ばれるようになった[4]。ロン・レイトナーがインタビューを行った際、ロペスは自身を「影響力溢れる逸材」と称した。のちに釈放されることになるが、その理由については「『お行儀良く振舞っているから』さ」と述べ、「世間は俺のことを忘れやしない」と語った[4]

ロペスに関して、AP通信が伝えた報道の中で現存しているものでは、1980年7月1981年1月に配信した2つがある[1]。前者は「ロペスが逮捕され、100人を超える少女を殺害した容疑で有罪判決を受けた」こと、後者は「300件を超える性的暴行及び殺人を自供した」ことである[1]

行方不明[編集]

エクアドルで裁判にかけられたロペスは、1981年7月31日、16年の禁固刑を宣告された。エクアドルで死刑が執行されたのは1884年が最後であり、それ以降は執行されておらず(1906年に廃止)、禁固は同国において殺人罪に科される最高刑であった。殺人犯を釈放することについて尋ねられた刑務大臣のパブロ・ファゲロ(Pablo Faguero)は、以下のように述べた。

「奇妙に聞こえるかもしれないが、それが我が国の法律だ。エクアドルの大統領が革命や軍事クーデターを起こされて殺されるのを防ぐ目的で、『20年以上は死刑判決が下されず、刑も執行されない』という法律が100年以上も前に可決された。法律は人道的であるように思われた。過去には4頭の馬を使って身体を引き裂いて殺すという残忍な処刑方法があった」[4]

1994年8月31日、ロペスはエクアドルのガルフィア・モレノ刑務所( es:Penal García Moreno )から釈放された。ロペスは2台の護衛車両とともに護送され、飲料水の入ったペットボトル、新しい靴、シャツ、ズボン、少量のコロンビア・ペソと食料が入った荷物が手渡され、コロンビアの国境付近で解放された[4]。エクアドル当局によれば、ロペスはエクアドルに滞在するためのビザを持っていなかったため、国外追放処分にしたという[4]。コロンビア当局は、20年前にロペスが犯した殺人の容疑で有罪判決を下そうとしたが、ロペスは「正気を失っている」と判断され、1995年にボゴタにある精神病院に収容された。1998年、ロペスは「正気である」と判断され、50ドルの保釈金を支払って保釈された。「精神科に通院する」「毎月裁判所に出頭する」という条件付きであったが、ロペスが出頭したことは一度も無かった[2]。保釈後、ロペスは老いた母のもとを訪れ、遺産を要求するも母は拒んだ。ロペスは母が所有していたベッドと椅子を外に運び出し、通りを歩く人々にそれらを売った[2]。そして、母の手からなけなしの金を奪うと去って行ったという。その後のロペスの消息は不明のままである。ロペスの母は「息子はまだ生きている」と信じているという。

2002年インターポールは、コロンビア政府に対して、新たな殺人容疑でロペスを逮捕するよう勧告を出し[11]、ロペスは警察による指名手配を受けている[12]

参考[編集]

  1. ^ a b c d Who is Pedro Lopez?”. 2007年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Pedro Alonzo Lopez Biography”. Biography.com. 2019年12月6日閲覧。
  3. ^ Roger Boar, Nigel Blundell (1990). The World's Most Infamous Murders. Hamlyn. p. 116 -118. ISBN 0600570088. https://books.google.co.jp/books/about/The_World_s_Most_Infamous_Murders.html?id=e173GwAACAAJ&redir_esc=y 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Worst Serial Killer Released”. Edit International (2009年1月31日). 2011年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月6日閲覧。
  5. ^ Most prolific serial killer” (2015年2月16日). 2019年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月6日閲覧。
  6. ^ Willis Goth Regier (2007). In Praise of Flattery. ISBN 978-0803239692. https://books.google.com/books?id=k5FY0LJL6NkC 
  7. ^ a b World's second worst serial killer walked free from prison”. Nine News (2018年12月5日). 2019年11月30日閲覧。
  8. ^ a b Pedro Alonso LÓPEZ” (2017年8月7日). 2019年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月6日閲覧。
  9. ^ Pedro Alonso López – El Monstruo de Los Andes”. aminoapps.com. 2019年12月6日閲覧。
  10. ^ Neil Gray (2020年12月11日). “Something Wicked This Way Comes: Pedro López”. 2021年1月13日閲覧。
  11. ^ Carlina Ramon; Maria Masabanda Inde; Carlos Jácome; Pat Brennan (2004年). The Monster of the Andes. A&E Television Networks.. ISBN 0-7670-7897-7 
  12. ^ Why Did They Free Pedro López, the Monster of the Andes?”. Criminal. 2019年11月21日閲覧。

外部リンク[編集]